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昔、旭の迫という村に「迫の平岡シシトリネ」と呼ばれた、狩りの名人が住んでいた。 ある冬の日のこと、男はいつものように狩りにでかけた。慣れた山道をゆっくり登っていくと、突然前方の茂みがザワザワと激しく揺れた。「おっ、獲物だな。」とほくそえんで銃を構えた。なんであるかわからないが、とにかく、茂みがいちばん揺れているあたりをめがけて「ズキューン」と一発うった。そのしゅんかん、何かわからんが、たいそう大きな獣[けもの]がとび出して、道を横切り別の茂みの中へ音をたてて逃げ込んだ。
「確かに手応えがあったぞ。」
男は犬に後を追わせ、自分も、また、その後を追った。血が点々と枯草や葉っぱについている。林を過ぎ、やぶをくぐり、いくつかの谷をわたり、三つの峰を越した。しかし、獣の逃げ足は意外に速く、小さな谷へ降りたとき、あたりは暗くなりかけていた。「山上で陽[ひ]を見てはならない。」という鉄則を男はすっかり忘れていた。
さすがに疲れた。谷の近くに手ごろな岩屋があった。男は野宿の決心をした。「ホーイ、ホーイ。」と暗くなった山に向かって犬を呼んだ。枯れた杉の葉を拾い集め火をつけた。そして、あたりに落ちている枯木を集めてたき火を始めた。火は、夜中燃やしていなければならない。寒いだけでなしに、狼が来るかもしれないからである。やがて、犬が戻って来た。体全体で息をして、舌は土につかえるほどだらんとたらしている。
「おうおう、よしよし、腹もへったやろ。さあ、飯をやろう。」
持って来た握り飯のいくつかをおき火であぶって与えた。干し肉も与えた。よほど、腹が空いていたのだろう。犬はガツガツ食べた。
男も握り飯を食べた。おかずは、大根やきゅうりの漬け物である。それをそのままバリバリ食べた。また、岩壁にへばりつくように生えている岩チシャに手をのばし、火にあぶり、みそをつけて食べた。
風もなく何の物音もしない。谷川も音をたてずに流れている。山の上には、星がいくつもチカチカ冷たく光っている。犬は前足を枕にして、すでに眠ったらしい。夜は静かにふけてゆく。
男は、太い枯木を幾本も火の中へくべた。
「さて、そろそろ寝るか。」夜気[やき]をさけた岩陰で横になった。眠りかけてから、はっと思い出したかのように、ぶつぶつとまじないを始めた。たき火の暖かさで眠気に誘われてたまらない。男は、横になったまま、
「天くくる、地くくる。四方四面閉めくくる、ナムオンケンソワカ。」
これだけ言うと昼の疲れがどっと出て寝こんでしまった。
どれくらい時間がたっていたのか、それは、わからない。迫の平岡シシトリネは、耳元で誰かがしゃべっている声や笛や太鼓のにぎやかな音で目が覚めた。ねぼけまなこで、とろとろと燃えるたき火の方へ目を移すと、なんと、その周りで小さい人たちが、笛を吹き、太鼓をたたいてにぎやかに踊っているのである。枯木の上に腰かけて、おしゃべりに夢中になっている人たちも何組かいる。どの人たちも神主のような白い服を着、なかには、白いひげをはやした者もいる。男は、ぼんやりと、この光景を横になったまま見ていた。夢なのか現実なのか。
そのうちに、男のいちばん近くにいる二人の小さい人たちの話し声が、耳に入ってきた。
「ところで、きょうの迫の平岡シシトリネの獲物はどうだった。」
「それがな、長年この山に住んでいた大イノシシでなあ。ついに迫の平岡シシトリネにつかまってしまったよ。」
「それで、弾はあたったのか。」
「急所はそれてのー。あっちこっち逃げまわったが、とうとうあいつも判断が鈍ってなあ、この山の向こうの崖から谷へ落ちてしまったよ。」
「ほう、それで、その大イノシシは迫の平岡シシトリネにたたってゆかないのか。」
「それがだ。迫の平岡シシトリネは、なかなか律義[りちぎ]な男でな、千頭とったら千頭の供養をきちんとしておる。だからたたるわけにはいかんのだ。それに、この男は、今までに小さい動物は絶対にとってないんじゃ、実に感心な男なんじゃ。」
「じゃあ、あしたは大イノシシを見つけて、無事、山を下りることができるわけだ。」
「そういうことになるな。」
迫の平岡シシトリネは、この小さい人たちは、神様なんだろうか、と考えているうちに、また、深い眠りに落ちていった。
犬のほえ声で目が覚めた。ゆっくり目を開けると、犬は男にさかんにほえているのだった。夕べのできごとは、あれは、夢だったのだろうか。あの神主のような白い着物を着た小さい人たちは、神様だったのだろうか。……いや、そうに違いない。ぼんやり頭の中で考えていたら、犬が、またまたほえた。
「おお、おお、よしよし、お前も腹がへったか。お前も昨日の獲物が気になるのじゃな。」
どっこいしょ、と立ち上がろうとしたが、立ち上がれない。一体どうしたんだろう、と一瞬考えたが、すぐ、夕べのまじないを思いだした。そこで、
「天開く、地開く。四方四面押し開く、ナムオンケンソワカ。」
と、唱えた。体は自由になった。谷川で口をすすぎ、夕べの残り物を犬と分け合った。
白い服を着た小さい人たちの、「大イノシシは崖の下に落ちている。」ということばを信じて、谷をわたり、道のない山へ分け入った。比較的低い山で、小一時間もすると高い崖の上に出た。崖の下には谷川が流れており、その水ぎわにあの大イノシシが倒れていた。小さい人たちが話していたとおりであった。
迫の平岡シシトリネは、その一生のうちに、熊やイノシシ、カモシカなど三千頭もとった人だったという。 |
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話者 |
旭 |
岸尾 富定 |
記録 |
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上野地小学校 |
再話 |
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松実 豊繁 |
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