十津川探検 ~十津川郷の昔話~
玉置山の狼玉置山の狼(音声ガイド)
   租父は、嘉永[かえい]六年生まれで昭和十四年にこの世を去った。
 家が材木商を営んでいたので、十五歳になると一人で新宮へ用使いに行かされて、大人扱いを受けたそうだ。
 当時の街道は、折立[おりたち]から玉置山を越え、九重村[くじゅうむら]へ出て、そこで一泊。翌朝荷舟[にぶね]に乗せてもらい、やっと新宮へたどりついたそうだ。
 ある朝のことであった。祖父は九重へ向かって細い山道を急いで歩いていた。まだ誰も通った者がいないらしく、行くさきには蜘蛛の巣があり、木の枝で払いつつ歩いた。そのとき、前の方で朝霧[あさぎり]を透かして、何か黒く動くものが目に入った。ゆっくり歩いてもいやでもそこに近づいてしまった。
 驚いたことに、大きな牛の頭になんと五匹の狼がたかり、食いついているのである。しばらく木の陰で立ちすくみ、見つめていた。耳まで裂けた口は血で赤くそまり、ガツガツ音を立てて食べている。その様子に自分の体は振え、鳥肌が立ち、血の気が引いていくのがわかった。
「さあ、大変なところへ出くわしたぞ。これからどうしよう。」
「思い切って前へ進もうか、それとも逃げようか。」
思案するうちに大分、気が落ち着いてきた。
「そうだ。狼は、めったに人間にかかってこないと言う。思い切ってここを通ってやろう。」
と決心した。
だが、狼たちは狭い山道をふさぐようにぐるぐる動き回り、牛の頭にかぶりついている。狼たちは食べることに無我夢中のようだから、うまくこの場を突破できるかも知れん。祖父は度胸を決め、
「御馳走さまじゃのう。」
と言いながら、お尻がくすぐったい思いで通り抜けた。狼は食べることに夢中で、全く知らん顔だったと言うことだ。
「やれやれ、助かった。」
と思わずひとり言が口からもれたほどで、後も振り向かず、一目散にその場を走り去ったそうだ。狼は猛獣のように思われがちだが、実際は意外とおとなしく、人に危害を加えることはまずなかったと言う。
話者   折立   玉置   豊
再話   玉置 辰雄

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