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祖父(定吉[さだきち])が十六歳の時のこと。家の用事で旭の迫[せ]から篠原[しのはら]へ行って、その帰り道の出来事だった。行きは成畑山[なりはたやま]越えして一気に篠原へおりた。用をすませて帰りは、舟の川を下って沼田原[ぬたのはら]越えして長殿、栂之本[とがのもと]を通り中谷へ着いた時、日はとっぷりと暮れていたそうな。
中谷の在所から尾根(山の高いところのつらなり)づたいの横道にさしかかったころから、何ものかが後からついてくる様子。確かに自分の足音以外に別の足音がする。なんだか背筋がぞくぞくし、血の気が引いて髪の毛が立つ思いで、思わず足が速くなった。提灯[ちょうちん]を放って、駆け出したい気持ちだったそうな。
しかし、腹を決めて後を振りむいたら、提灯の薄暗い明かりの向こうに、二つの大きな目が光って見えた。「おくり狼だ。」と直感した。話には聞いていたが、実際に見るとこわくてこわくて仕方がない。かと言って、駆け出すわけにもいかない。どうするすべもなく、体中、脂汗が出て、体は硬くなり冷えてきたように思えた。
いつ飛びつかれるか、今、食われるかという思いにかられながら、やっと迫の在所が見える峠に着いたそうな。やれやれ一安心と思った時、ふと背中に鉄砲を背負っていることに気づき、急いで荷を下ろし、鉄砲を空へ向けて一発ぶっ放した。峠の下には叔母の家がある。鉄砲の音に驚いて跳び出てきた叔母は、
「定吉か、どうした。」
と言った。
「どうもないがおくり狼に送られた。」
と言いながら、後を振り返ったときには、もう狼の姿はなかったそうな。 |
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