十津川探検 ~瀞洞夜話~
此を書き殘す意義
   万象は流轉し今日よりは明日、10年前よりは今日と、敗戦日本も世界の國も人の世は等しく文化は進み發展し、過去の全ては古いとて流されてゆく。然し、拱腕して考へると先人の積み重ねの上の今日の文明であって、而も抽象具象、時を更へてみると我々祖先の行為には笑ひごとで済まされぬ。善いことも秀れたことも努力の様も幾多あり。今、我々は之を探り得て感謝尊重すべき点が實に多い。
 温故知新と云ふ言葉あり。昔からある言葉であるが、吟味すべきことである。先人の為した善い面を知って之を尊重し、現在の自分の發奮的立場を自覚し、明日の拠り所とするのである。新興中國でさへ世界一の發掘隊を組織し、周や殷の時代の土器や竃の跡を調査してゐるではないか。共産主義の國造りに余念のないこの國、前年遂に敦煌と云ふ塞北の砂漠の果てにて當時の中、西の要路たりしところの宝庫を發見して偉大なる千年前の藝術の粋を我國にももたらしたのである。日本でも頻りと發掘調査や復元、修理、改築、保存、指定と云ふやうに大がかりな委員會を組織して法律の下に文化財保存に尽力してゐる。個人の肉体はまもなく滅びる。敗戦の日本は今やかうした面で進んで行くより道はないやうに思ふ。
 考へると、田戸部落ほど遅く發生した里もない。瀞峡と云ふ地質学上貴重なるものを抱くが故に世に知らるることになり、急速に天下の注目を浴びるに至ったのである。
 然し、我々はそれだけで満足してはならない。寺の一寺も優れた設置物もないけれど、たとへ一つの傳説でも説話でも、道具の一つ、山の名一つでも、一基の墓石でも物語でも、自然物の一つでも、踊、祭、風俗の一つ一つでも、まりつき歌でも、全て之を取り上げ考証して、暗闇の彼方へ忘れ去られ消え去ることを惜しんで、何らかの形で保存し、そして今後に傳へしめねばならぬ。義務でもある。必ずや今後に良き結果として現れるであらうことを我は確信するのである。

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