これは田戸のみのことであるが、我北村源吉老人に聞く。玉置口村に紀州の役人兵隊出張して網を張り、封印を施して十津川領に入り來る川舟を厳しく取り絡まり、特に米・塩を酷く取り締まったと云ふ。同人一度引っ掛かり、手酷くやられ命からがら帰ったと云ふことを聞く。長い期間ではなかったらうが、之が勘定に入れなかったため天誅組の分裂を早めたらしい。