十津川探検 ~瀞洞夜話~
乘本妙権太夫、コサメコジロウのこと
   参考として昔も昔、十津川郷西川奥に如何なる者がゐたか。之を以て見ても地の利は前近代に近かったか分かる。
 どの時代か分からぬが、鎌倉時代のことかと思ふ。乘本妙権太夫と云ふ権威ある長者がいたらしい。時折高野山へ駕籠にて山間を縫って参詣したらしい。十文タワと云ふ休み場が、その途中にあったらしい。恐らく十文で担がせたものであらう。
 ここに又コサメコジロウ(小? 小二郎)と云ふ山窩の豪の者ありて村人を苦しめ、人々大いに難儀せるよし。討伐する力もなく泣き寝入りしてゐたと云ふ。この者は「ミタルのナギナタ」を用ひ、「七サコ七オカ」の山を払ひ、粟を蒔きて一族の食料とせしと云ふ話なり。乘本(あるいは則本)、巧言を用ひ企てるに7升7合の酒を7合7勺に煮詰めて訪れたところ、小二郎大いに喜び、共に喰ひ飲み泥醉したところを妙権太夫の手により殺されてしまった。以後は、村人も枕を高くして寝られるようになったと云ふ。
 以上、童話じみて簡単な話であるが、又夢の如き傳説に過ぎないが、思ひを巡らすといろいろ分かることがある。當時の統一力なき政治、その人間権勢と慾の發揮方、こんな山中にも地の利を得たこと、然し正義漢の乘本の出現、そしてその信仰心、手をつけられぬ者、悪玉はかくて終わりぬなど、また粟を山の焼き跡に蒔くビルマのカチン族、朝鮮の火田民、信州あたりの山窩の粟蒔など食料形式も似ることを知る。
 煮詰める酒は、意識として逆であるが、これは實に又その逆で、ランビキであり、今の言葉では蒸留であり、大昔より使はれ改良されて強い酒を造ったことは、蒙古、青海あたりを見ると今でもあることが分かるのである。
 さて、山を越えて和歌山へ入り龍神あたりへ行くと、小二郎がアメノウオの化け物となってゐる。(南方先生の本に詳し。)
 山路村と十津川郷は仲がよくなかったらしい。奥西川では山を越えてよく喧嘩したり、戦のやうなことをやったらしい。我の見た古文書に小野惣左衛門と云ふ者、奉行となりて戦ひ生首70級を得たとある。
注- ・ランビキについて
 ポルトガル語。alambiqueの転。江戸時代の酒類などを蒸留する器具。

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