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めでたいことがあると、十津川村ではモチツキオドリをやったものである。
今回の奈良・高田・新宮間國道開通祝賀式でもやったらしい。勿論、日本中祭祀と政(マツリゴト)関係よりは供御のもの、投餅とか又家庭にも食料を之に利用することは、珍しくない。(朝鮮、中國や歐米とは別に)が、十津川の餅搗き踊りは、特殊な意義があるやうだ。乃ち、「とんと十津川御赦免どころ、年貢いらずの作り採り」の俚謡の如し。けれども、これは山村で如何に米穀が少なく貴重であり、少々も採れなかったとも云へる。故に、たまさかの餅搗時には大喜びし、特にめでたい時の長者の祭りや祝ひのときなどに歌ひ踊るやうになったと思ふ。
五條代官、大納言秀長以降の古文書、徳川期代々のものを見ると、山手銀を出したり、除いてもらったり、鹿皮を献上、鮎の焙り献上、蜂蜜献上、椎茸献上、奈良薪能の出工(デク)など、やはり代替の貢租があったことは分かってゐる。 |
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