十津川探検 ~瀞洞夜話~
続昔の郷土を知ること
   温故知新とも云ふ。いま、安保改定、砂川事件など意見の対立抗争、内外一切事喧々轟々の折り、米ソ何れ側をとる人々も一つの山林で日本國ぐらひの山や、後者にとっては茶碗くらひの湖(パイカル)に日本を投入して、やっとと云ふ大國の彼らには、今の日本は敵すべくもあらず。然し拱腕して卑屈する訳にもゆくまひ。何かで世界へ進出せねばならない。学術、技藝あげても國際場裡へ立ち向かはねばならない。
 それにつけても、その日本人を培ふ温床として、この胚胎を育つるために高い品性の日本人になるために、先づ第一にも必要欠くべからざるものは、自身の脚下照顧する要あるは論を待たないと考へる。新日本の建設は、この入門の一歩より始まると云って差し支へない。
(昭和34年12月16日)

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