十津川探検 ~瀞洞夜話~
再び日本人のこと
   明治の初め、福翁が『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず』と云った。如何程衣食住外すべて自由に不足なき生活も心せざると猫にも劣る。真理より外れる生活となる。人間性のない生活、事や物に直面し、より高く道をとって進むが高等動物、人間の願望なり。ただ官能のままの自由では眞のものでなく、眞の自由は土人や畜類と違ひ、抵抗力のある方、ある方へ、たとへ前途に何ありとも進む。ここに文明も生じてくる。
 腹一杯、これで良し。元より願ふところなるも、止まっては何の芸もないものになってしまう。之を戒める言葉は古來いくらもあるが、尚その生活の上に何か覆ひ被さるものがあってはならない。搾取され、常に何百年の間、人間扱ひも受けなかった植民地の昔を考へると観念的に生活や國を誇っても何の意味もないやうだ。他國に扱はれ、圧迫されると云ふことは、心ある国民には不愉快極まることであり、青天の白光を見ない常に曇った空の如き、否もっと不安な日々である。だから、今の日本人は、部分だけ見ることをしないで、一應は広く世界の動きも見るべきである。時間も素養もなくはない筈、心さへあれば、今アメリカまで9時間半で飛行機は行き、地球の周囲の約10倍、38万kの月の世界まで相互に動く天体を計算して、見事ロケットを打ち込み、計算・記憶・發音・文字・カラーテレビその他いろいろ進化の世の中である。プラスチックの分□器具、衣料の果々まで、石油、ガス・空気、水などで出來る。所謂、無より有を得る時代とも云へる。匙一杯で3000万の人を殺すストロンチュウムも上空にバケツ一杯以上あると云ふ。ニョッキリ立つ原子炉は必ず将來大電力を産んだり、また人の恐怖も十分だらう。昔の大和など、多くのバカデッカイ巨額の船もその他なくなり、八幡製鉄の軽量形鋼とプラスチックの不燃耐震耐風耐朽の家屋材料も出回る理もよく分かり、それだけそれは時間的に比類なく早く生活に入り込み、木と紙の家と笑ふアメリカ人を苦笑せしめ、我々も考へさせられる時代は來るであらう。へリコプーターの如き、観光・交通にも出るであらうし、木材の運送の如きは、地元よりひっつかみ、一直線に市場へゆく日が來るかも知れない。今はダム開發のブーム。この形式も如何なるか?

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