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瀞は、乃ち田戸はこの辺りで最も遅く開け、観光のブームにのり急激に世に出でた地である。昔は、少々(観光が)あっても炭焼きその他、勤勉に我等の祖は稼がねばならなかった。實に何にも留意してくれる地でなく、草木深い里であったことはわかる。東野の今瀧は、店2軒の問屋あり。山の細道を辿る最後の移出港とも云ふものであり、平石の分家菅家の下りて來る道(松本より)は、郡長玉置高良氏によりて初めての車道が葛川より田戸へ通るまでは、何人も訪れる賑やかな里ではなかった。(田戸は)寺もなし、里のことも全て下葛川、神山などに従属してゐた。寺は神山・下葛川にあり(然しよくぞ寺もあったものなり)、姓さへ戴きに下葛川あたりへ行ったものらしい。我の姓の中森は貰ったものであり、中盛と称したらしい。
九州天草の乱後、幕末までは寺請証文とて仏教信者であることの証明は生活上欠くべからざる権威あり、從って寺の権威は大したものであり、一種の戸籍役場の如き機関であり、信仰のふたつを持って人民に君臨してゐた。その関係上、田戸には昔のことを知る資料は皆無で、何物もないと云っていい。
明治5年癈仏令は寺を破壊し追放したが、これによって郷土の歴史を知る上の文書もその他もすっかりなくなり、玉置山も同様のことにはなったのだが、特に田戸には資料や之らを証明するものは何もないのである。
温故知新と云ふ昔からの言葉がある。新興共産主義の國中國でさへ、17,000人と云ふ世界一の人数を擁して、(遺跡を)發掘したり。土器の破片や竃の跡など調査してゐる。そして敦煌文化を掘り出して、輝く過去の歴史を誇り、民族各々が、昔と比べ果たして今は如何にあるべきか、又なすべきか、それぞれ努力してゐる。世界各地も懸命な努力である。
敗戦に続き、アメリカなど日本色を徹底的に打破し、解放の名の下にいきなり民主主義を否應なくこの東洋的の、否、もっと特殊な古い日本に導入し、骨なしのクラゲの様にして解放を叫ばしめ、男女の面、運動の面、一切はアメリカ式に、物質文明give and takeの世としてしまった。マッカーサー下のGHQを主としてG二及びGS、CICの跋扈、暗中活動、拳銃を政府の高官の前に置いて、鎧袖一触の如く全國の機関を通じて与し易いところの盾としてしまったのである。小笠原の豊かさも沖縄の地も事實上取り上げられてしまった。國の内では人民の内抗、皇室の形式は勿論である。ソ連など共産圏の國は、逆に平和らしく呼び掛けるも、(内實は)なかなか凄まじく、南千島のみか、国土の狭隘に、帰りたい人も還へさぬ。アメリカも同断である。アメリカも一時GHQを通して全國網を利して、日本の無力化を図り、日本色を払拭するため一時は共産党員を優遇したり(70名の國会議員一時登場)、彼ら我ごとなれりとしたるが如き、そして朝鮮人の優位を助け暴行百出、火炎ビン事件、また熊沢天皇の出現を助けて日本精神の追放、女性の各層を狙って様々の野性女族を輩出せしめ、面白く改めてしまった。國内一切のもの、悉皆変貌してしまった。アラブか黒人か、無政府主義者か、判りかねる。淺ましい情け無い日本にしてしまった。ただ闘ふ血と地の利をしめる対共産圏と自己の勢力を美しい小國を盾にするためである。平事件、松川事件、下山國鉄總裁の怪死、三鷹事件など、然しその頃になると、GHQは漠然のことよりも、次第にソ連を恐れる結果、左傾分子弾圧と変はり、組織の破壊分子の多くなったことに驚き世を驚かす事件を作ったとも云ふ。レッドパージもGHQがやった。官僚も又驚いたことに自國のものも軍の意に満たさぬ者は本國へ追放、そして追放、軍の意のままになる如く日本を操縦した。あわてて半回した軍は、右翼・旧軍将校・旧政治家など、財閥も(一時は追放または解除されたが)遂に厚意を与へて遇するに至るは、全くその豹変ぶりに呆れる。大がかりな組織網にて全國に光る目も、又その内部にG2、GSの激しい対立あり。從って、日本政府の上下も対立を生じるなど、云ふ言葉もない。日本の50倍の土地を有し、豊沃の地、人口は2倍なし。ソ連も同じである。声だけは日本ブーム、文化交流と云ふが、日本など眼中になく日本など東洋の何処かの一部、景色の美しい小さな國くらいに思ってゐるらしい。丸髷の昔風の女のある日本画があり、欧州でも今問題になってゐるらしいが、どんな考へをしてゐるか分かる。國内では、アメリカの日本ブームを云ってゐるが、いろいろの情報を知ると悪からう、安からうのオモチャ類位のものが彼の内部にあり、日本色のものに一般の記念品の如き家庭あり。簾の如き、庭に面する一隅にかけずらされ、日傘など展示同様らしく、囲碁の流行も一部ではっきりした観念もなく行はれてゐると云ふ。日本は経済復興を誇るが、その底は極めて今のところあいまい。第一貿易の帳尻の金であり、他に対して反故紙同然の金である。380社を数へる悪質外人の商社、ユダヤのサッスーン閥も今の日本にあり。キリスト宗教法人の提携と不快極まる話あり。ちようどアメリカと云ふ消費せねばならぬ國、同様の日本は確か正確な道を歩いてゐるか。大会社、大商社を誇る傍らには、弁當もない学童、職を失へる、晝食の代用食も得ない炭鉱地や東京にさへ貧乏人がゴロゴロしてゐる。その差、つまり貧富の差は、いよいよ険しく、今は昔、都市の有閑マダムの料理・趣味・育児を知るにつけて、蓋し今後は心配憂慮すベき日本と思ふ。
日本は、益々増加する東京も、やがて千万人と云ふ。維新頃の詩に、『人は草木に似て春榮を競う』とある。『乏しきを憂へず。等しからざるを憂ふ』の古語、今朝のラジオであったが、全くのことであると思ふ。
日本は三流國半になり下がり、この世界では膨張人口はアマゾンか何処かへ移るより致し方なく、将來容易のこと、または奇跡なくてはウダツが上がらぬ國に悲しいかな、なったのである。英國、フランス、ドイツも小さくなった。植民地の少ない國となった。権益のない國となった。しかし、日本よりはるかに良い。
東洋の海の上の永かった一君子國も今では実力が問題である。表面は立ち直り、好景氣、高度文明と云ふも,持たざる國はいくら國連の役員國となっても、前途の樂観は許されない。運命と云ふものは、小運の開拓は可能だが宿命は逃れられない。日本人は今更アメリカ人になる訳にはゆかぬ。我々には、大いに悪い面もあったらう。然し、昔から優れた面、良い面もあったはずである。静かにこれを考へて、古よりの文化を大切に守り育てて國民のプライドを保ち、次いで、この昔よりの文化を大切に、外國にも劣らぬやう、今の日本の位置づけと發展を願ひ、世界の人に日本の文化や歴史を観て貰はねばならぬし、又観光の基として育成せなければならぬ。京都の観光憲章もかく云ふ。これより外ない日本であり、國内に誇れるものとして無上のものである。發掘、調査、改築、復元、指定の行はれる所以である。
然るに、昔より條件のよい地方と違ひ、この田戸は前に述べた如く歴史的に全く貧困も貧困、文化否古文化の歴史も皆無の状態である。政治的に甚だしく置き去りの状態、立地條件が悪かった田戸は、今の観光ブームは別にして、誠に殘念無念の地である。勿論、今のやうに唯物思想が旺盛で貨幣奪取懸命の世となっては、直接経済価値のない土地は忘れがちになり、已に忘却の彼方にある風である。しかし、今まで述べてきた如く決してそんなものではない。
そのまま忘却の彼方へやってしまうと将來はまた必ず之を欲する者、また必要も自他現れてくるに違ひない。道徳の上、利潤の上にも現れてくるに違ひないと我は思ふ。特に三重県領も和歌山県領もともに北山川流域の郷土史が必要であらう。
どこも資料はいよいよ少ないとするもロケットの、又物理観察で宇宙を探究して次々と動かすべからざる發見と、現実の如くあらゆる面で可及的資料の有無にかかわらず、傳説・説話・傳承・稗史をとり調べをき、何か縁のあるものは古道具でもよいが、保存すべきである。今を措いて他にはない。重大な時期である。(大宇陀中では古い道具から今に至るまでを並べ教材とする。)
我は獨りここで焦燥する。勿論、いくた同憂の人もあると思ふが、何しろこんなことは個人生活の上に金品出來るものはよくよくの特志のある富裕者か、又は公の力によるかより完全を期せらるるものでなく、個人の力は誠に微々、なし能はざるものなり。
我は然し病床10年、医業も放棄の身の上、妻一人の十櫃十起の生活難ながら、やれるだけは田戸や他のために書き殘したいのである。よし、それは妄想と云はれても!
大阪人が、60に近ひ死にかかった我に、700万年の昔のことを尋ね、一日がかりで応へやりしに大変喜んでくれた。これも我の厚意であながち妄想でない証である。自己宣傳でも自慢でもない。今日は、自慢も人への嫉視や悪感情を有して貴重な日を己を不明として無駄に送ると云ふ損な時代でない。實に悪い世論となってゐる。問題も何かのために落ち着いてよく考へ取捨することこそ大切である。(昭和34年12月16目)
注-「損な時代でない」は、文意から「損な時代である」が正しいと思われる。
今から12~3年前、東京帝銀椎名支店の十何名の殺害事件、世界に類のない事件の犯人として平沢貞道(テンペラ画の権威)が挙げられ、死刑の判決を受けた。然るに10年を過ぎし今日、死刑なしと云ふ。68歳なれば死亡の自然を待つ當局とも沙汰されあり。無罪を云ふ者多く、第一被害者の一人の生き殘りが、「違ふ。」と云ふ。また、アメリカGHQの圧力で、實は旧日本軍の秘密部隊中野部隊員とも云ふ。毒藥を扱ふピペットは軍用のものと云ふ。全くGHQは日本をあまりにもメチャクチャにした。今は悔もあらう。軍備問題、対ソ問題で躍起になってゐる。月ロケットで完全にソ連に兜を脱ぐ。その遺物芳しからぬ死刑囚平沢、無實とすると重大なり。
これを考へ世界へ、これが日本人ですと云へるやうにするには、昔に遡って優れた日本の發見に努めることが大切である。良も悪も総ざらいにして、より優れたものは殘さねばならぬ。里は里、村は村、國は國と云ふやうに。そして我々は目に見えぬ抽象のもの、そして政治にも世界の情勢にも無関心であってはならない。個人より将來は民族的に發展すべきであり、現在世界は挙げて黒人に至るまで然りである。如何に政治に不満、又は獨善的であっても責めたことでは絶対にない。歐米支配の虐げられ続けた歴史経過と彼らの政治的関心の高いこと、民族観念、宗教観念の旺盛なことを思ひ、その發展に頷くものである。たとへ大乱にならうとも反省自覚の生じた彼らは知ってゐるのであり、出來てゐる。
先に、東京でアンケートをとりしに、安保條約で左右これほど國民の騒いでゐる中に無関心の者75%と云ふ。呆れた次第。何と云っても、人の優位即ち他の動物に誇れるのは智であり精神である。戦闘の心なくば、その軍は敗る。その心を培う形なき心の培養地は昔から流れている歴史である。大地即ち郷里であり、歴史を科学する心である。 |
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注- |
・「十櫃十起」の意味であるが、諸橋轍次の「大漢和辞典」にもなく、あるいは中森瀞八郎氏の造語かもしれない。 |
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