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全知全能の神と云ふ宇宙空間はひとつの生命ある一体物であり、大自然の法則こそ森羅万象を現して偉大なり。
人の世、人は各人種、貧富、賢愚、優劣を作り、昔より永劫に進む。幸福あり、貧苦あり、惨虐などあり。喜怒哀樂、そして次々敵現れ、世の様変はりて欲望、願望も生命も大盤石らしく未來へ驀進する。結局は共倒れか。文明と云ふも分刻の未來も分からずして進む。一度自然の事至ると天災も生命の安危も絶対に防ぎ得ない。動物の世代交代を云ふ学者、不滅と云ふ学者いろいろあり。満足の境地は已に欠くる危を後に控へ、善意を唱へる裏には数限りの悲惨あり。電子化学、核エネルギーなど驚くべき發達も、ロケット宇宙飛行も必ず裏に膨大の消費あり。危機も國と人に存す。
然し人は、そして文明人はこの矛盾を克服して行かねばならない。喰ふもの自然にあり。衣も住も要らうとせぬ土人の抵抗力のない方、弱い方へ進むものは四季との不立に苦しむ。文明人にはるか置き忘れられ、利用される。今アフリカ、インドネシアなど、または南米、アラブなど目覚めて立ち上がってゐるが、昔を遡ってみると何百年の間搾取されし、または残酷は形を変へて文明國内にもありたり。
宗教と云ひ哲学と云ひ倫理と云ふも、限りなき中に矛盾を□し、限りの事を説くのみ。人の世、生々流轉の世は何時の日になっても同じこと。人と対しても、自然の物に対しても同じであらう。智あり、慾あるためと云ふ。而しその慾の世界にこそ人類の發展と生甲斐ありと云ふ。これ然らん。
馴れるありて文明も文化も進歩も次に移る。太陽の如く出で示す絶対の法は人にない。如何なる大政治家も思想家も□□□時代の変はり目に歴史上の人となる。人は人には絶対の信はおかない。故に信仰を求め第一のものとするも、これも絶対のものでなく、淫祠邪教が正宗教の変化無力に目をつけて、戦争の混乱にはびこる。古來よりキリスト、ソクラテス、釈迦、マホメットなど出でしも容易ならず。
容易ならずのところ、如何に法の力を以てしても、揺るぎなき世界は形成しない。古來また絶対の探究者として達磨(ダルマ)以來、いくばくの僧出でて、この絶対を究め人とせしか。然し「世は人の世界はこれにて良いのだ」と考ふ。万象は流轉する。然し大自然の大理法は、少しも過去も現在も未來も変はらない。その本質は何時も同じと考へる。
自然を畏敬するものは報はるるのである。驚くべき手近の例。これほどの石油時代、石油産業の革命時代に一部の識者を除き、果たして一台のトラックに乗る運轉手のうち、そも何人が何百万年前の太陽のエネルギーを戴いて走ってをることを知るか。
自然だけを見ると大調和である。植物も動物も分を厳守し、他を凌ぐことなし。よく殘虐陰謀ありとするも當然の輪廻として万象の中で行はれ、永劫に過ぎ行き、陽光はさんさんとして降り注ぎ、殺されても壊されても他を生かす意義にて満ちたりた生活。とにかく生きて行く黄金の山は、この世界には不要。且つ権力も不要。蓄積も不要。爭ひ、生死のことも有用に巧妙に大調和してゐる。人の世のみにいよいよ厳しく汚れたものになっていくのを、じっと大自然は視てゐるのである。
ああ、人の世、矛盾と愚劣、あの尖端の文明、核エネルギーをみるが良い。ああ、大自然!、不生不増の大自然! |
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