十津川探検 ~瀞洞夜話~
松茸採りの名人のこと
   向井山に昔、伊勢一志郡羽津村より流れ(當時、伊勢・広島などから山仕事、荷持ち-単純にモチと云ふ-として多く入り來る。伊勢からの人々を、土地の人ら伊勢乞食と云へり)來りし。農作に巧みで、よく動き、作物にもその頃先明あり。ホウレンソウ、シュンギクなどよく作り、ネーブル、夏蜜柑などあの向井山にて驚くべきものを作りたり。後、相當の金を得て帰りしが。
 ある日、帰村の日も近ければ、秘密の松茸山を傳授すべしとて、朝早く暗き内に提灯をともして、瀞山へ案内せり。同人は、全くこの道神業にて、特に提灯持ちて暗き内に行き、夜明ける程に帰る。杉葉を遠見して(松茸の)發生の場所を知るなど云へるも、また松茸ある土の上の方には露あり、など云ひしが、同人唱へる程、自信ありしなるべし。
 私を暗き山に連行して、その場所を教へたり。然し、考へてみると、今侵入皆無の独占場は少なかりき。人の通行する何でもない樹蔭の場所とかに手を探り入れ、土を荒らすことなく、小は採らず、人に見らるることなく、程良き見事大なるを抜き出したり。
 ある場所にて、杖にて1m四方を画して我に云ふ。「この間にて土を掘らず葉も起こさず、じっと目で見て採りてみよ。」と、云ふ。我少年時、しきりに考へしも得ることを得ざりき。後、人をこの独占場に入れ、遂には万人の場となれるも、熱心さと共に、忘れ難い老人なりき。なお、食用の茸を何かと知りおり、弁舌にも長じゐたり。
注- ・重複記事であるが、一人の人物を別の角度から描いているとみてよい。

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