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狼の遺体は明治38年吉野鷲家口にて英人の手に入りしを最後として消えてしまった。それより15~6年前まで相當神獣視され、恐れられし色々の傳説まで殘し(政治に利用されし)、食糧の関係か、流行病によるか、急に少なく、遂には滅亡の域に達した。然し、余、南方先生の指示により秩父宮出入の日本狼の研究家『動物文学』の主幹に寄せし多くの例を古今を問はず投稿せしあり。旧きことは正しく、新しきことは多分嘘多かりしなり。判断に迷ふあり。また狼の存在そのものが神秘化され、政治化され、個々の秘密とせるあり。その内、一番眞實感あり新しくありしは、津の高等農林教授の報告にて、伯母峯付近の二家に伝わるものだが、悪魔払ひとして用ひし漆塗りの狼の牙(下顎)と称するものを今に持つと云ふ。二家には、狼の骨格や剥製はないやうだ。また、教授の夜の伯母峯越えの経験談は、狼の存在を感じさせるものならん。
然るに狼より一世紀も前に姿を消したタクラタと云ふものあり。大きさ熊の如く、山小屋の冬、焚き火の辺りへ人のゐるも意とせず入り來る。温まってのち山に帰る。人々之を害さずと。タクラタは誇張されて伝承されておるが、存在せしは確實なるもジャコウネズミの一種にして、徳川時代の書に見ると云ふ。これは南方先生の言なりし。アホーのタクラタと云はれ、愛嬌ある小動物なりしならん。3回あまり他地方の古老より傳へを聞きしことあり。万象は流轉す。今にそれぞれ姿を消すものあらん。 |
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