十津川探検 ~瀞洞夜話~
更に狸のことについて
   亡父が我家の前の菅家に奉公中、嫁入りなどの場合、肴の不用分を捨てると、家の裏あたりまで狸ゴソゴソと之を喰ひに出でたりと云ふ。また、80年位前か、大伯父、東藤二郎云ふ。「狸、内庭まで來たり。穀物を喰ふため、餌のものを庭に置き、鉄砲を構え置き、夜にゴソゴソの音を聞いて射った」と、云ふ。然し、あまり射てなかったよし。狸の腹ツヅミや人の聲の眞似は巧みに啼き、声をたてるよし。(この狸の腹ツヅミは、亡父も玉置山にて聞きしよし。)北村源吉老云ふ(今より90年前か)、ある日のこと、山で薪を伐り居りしに、下の方にてホーイホーイ声がする。扨は狸と思ひ何の心なく一仕事終わりて堆積せる木の始末をせしに、一匹の狸、投げし木に當たりて死んでゐたりと云ふ。
 また、それより30年も後のこと、木津呂の中山文二郎と云ふ人もこんなことに会ひ、よく視ると狸の片足が出てきたと云ふ。これを見て間もなく肋膜炎にかかり、たうたう無麻酔で治療をやったと云ふが、熱の高い時など、「彼奴は、足を返せ」と再三口走ったと云ふ。以て、當時の人の狐狸への恐怖感を知る。
 我の所有の向井山と云へるに、オツギと云ふ老母ありしと北村源吉老は云へり。ある日、卒然として、その姿消え去りたり。田戸の人々、扨は狸のため誘ひ込まれしと思ひてか、全里の人を総動員して山や野辺を、「オツギのババを返へせよい」と探し廻ったよしなり。

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