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北は吉野近くの天ケ瀬、入の波(シオノハ)あたりより、南は那智あたりの峯々を通じて、一本だたら(イッポンダタラ)の話、昔よりあり。我の17,8歳の頃にも北山村(下北山)で語られてゐた。
雪の降る日、山越えすると小児の如き足跡で足一本で歩いてゐると云ふ。また、大人以上の足跡とも云ふ。これは昔、平谷平助・三蔵が大々的な例の北山一揆を完遂すべく、また大野心を満足するため新宮・和歌山城の大阪出陣をねらって、新宮神倉神社(元の速玉神社)に魔所荒らしなどしたやうに怪奇に宣伝して、効をそれまでより高めたこともあらう。(一本だたらの)起源はずっと古く、上北山の岩本家(政務次官を出す)の傳説に、から傘を広げし如き怪物に、夜、人が対した時、(彼の)所持せし鉄砲が自ら飛び掛かったことがあったと云ふ。
又、義経とからまして、師走(ハテ)の20日(ハツカ)、伯母峯を越すと背に竹の生えし義経の馬出で來ると人恐れし如く怪奇な傳説を生んだ。
我の考へでは、足の不自由な超人間的な腕力と勢ひを有してゐた人、巨人型の盗賊かと思ふ。単に傳説に終わり、史實がない。色川の仮屋刑部左エ門が一本ダタラを討ち取ったと云ふ傳説もある。とにかく、しつこく過去へ尾を引いて取沙汰されしものである。仮屋刑部左エ門が討ち取ったと云ふのも、たった一人と定めてしまふと変なことになる。と言って、何人もあるはずなし。要は単なる傳説か否か、我は多分にこの怪物(怪盗)が過去に横行したものと思ふ。
高田の権守(ゴンノカミ)の祖が那智参りの途、一本ダタラに出合ひ、狼に助けられ、その恩に報ひるため、「死んだら死体をやる」と約束し、そのため代々墓を暴かれて、遂に宅地内に墓地を設けしと云ふ傳説もある。仮屋刑部左エ門が一本ダタラを討つ前にも後にも、この怪物はいたらしいのである。 |
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注- |
・平谷平助(三度平助)のことは、別にある。 |
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・色川-那智の奥 |
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・高田の権守-高田は和歌山県熊野川支流沿いの村 |
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