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十津川村は、由緒を以て昔は大抵士族であり、我等の時代も分家は別として本家のみ士族と云ひ、平民の分家を区別してゐた。そして分家もその氣位を奉じて、本家は勿論、大抵は日本刀を(魂としてはともかく)蔵してゐた。然るに昭和20年敗戦となり、マッカーサーが最高司令官として來るや、先づ天皇を神秘の座より下ろし、寫眞を撮り、天皇より一切の権力を取り上げ、主権在民とし、天皇も一人の人間として了ひ、財閥は解体、警察は國と地方自治体の二本立てとし、学校も政治も全て変革されて了ひ、日本無力化に精進したものである。故に皇室と関係ありとする國教神道も政治と完全に断たれて了ひ、哀れな虫の息の状態にして了った。熊沢天皇など(昨年まで28人)キャノン機関等取り上げて、現皇室を疑はしめ、用なくなれば折角正統として京都へ出た熊沢を捨てて顧みない。
そして日本を徹底的に潰さうと、骨董的な刀剱を取り上げて所持することを非合法化して了った。各家を捜索する日本の警察官より飛行機から刀剱の隠し場所を探知することができるなどと脅迫して、取り上げた日本刀は莫大であった。いいかげんなものもあったであらうが、中には指定・保存の価値あるものもあったことと思ふ。見事な戦利品として、記念品として本国に持ちかへったアメリカ兵達は、恐らく壁掛けなどにして錆びさせしまってゐることだらう。
アメリカは、つまらぬことをしたものである。自動小銃の威力で軍國主義を根こそぎにしてしまふつもりであったに違ひない。然るに今は如何か。ソ連に対する防波堤として日本に軍備を盛んに押しつけてゐる。馬鹿げたものだ。
葛川中田家の葵下坂(アオイシモサカ)は新刀なるも見事な美術品。浦地の正宗の父製作の刀、我の分を云ふと備前景光。母の実家が新宮藩からもらったものと云ふ康光の鎧通し、義弘の作と云ふ松皮肌の刀、肥前の忠吉を思はす見事な、誤魔化しのきかぬ眞っ直ぐの糸焼刃。今の金にしてざっと120万もするものも、すっかりなくなり雲散鳥没して了った。
今の状態を見ると、骨董屋が麗々しく美術商と銘打って数少ない刀剱のなかを泳ぎ廻って儲けてゐる。皮肉なものなり。 |
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注- |
・中田家-上葛川、中作市家の分家の屋号。 |
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・母の実家-紀州三里村一本松の音無家。 |
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