|
|
|
|
|
我ら若きとき、満州事変前頃か、世は不景氣の最中、思想的にも動揺の頃、この唄流行したり。
我ふと思ひ付き、提唱してこれを歌詞として人々の協力を得て踊りをなす。今氣付きしに、やはり毎度の盆に踊られてると云ふ。ラフカディオハーンのみでなく、民衆の喜怒哀樂や権者の行動なりは、祭りや踊りに殘されていく。人は如何とも盆踊りは、そのまま受け継がれて殘ってゆく。大小こそあれ一つの文化であり、確かに喜ぶべき人の習性である。起源もまるでないものか。かくて今あるとは洵に考へるべきで、心の遺産として、その歌詞と何時まで続くだらう。 |
|
|
|
|
|
|