十津川探検 ~瀞洞夜話~
動物の捕獲方法〔山〕
   山の動物と云はず、川や谷の動物と云はず、その捕り方の変遷を昔より考へると、なかなか興味がある。そして嫌な思ひさへ浮かぶ。人の悪智恵と云ふものは、常に科学なき人々も熱中のあまり、驚くべきことを考へる。況んや少し弁へある人においてをや。然るに正攻法でない智なき動物どもの本能もものかは、山の人は誰でも知ってゐると云ってよい。
 昔は投石、大勢して追い詰め、石や木で殴り殺し、主食にしたものらしい。次にワナの方法、弓矢と犬の利用である。犬の利用は大成績をあげたに違ひない。人は視力と智力にて遠くのもの、近くは元より見定まるものなるも、扨、茂りたる山に入れば足元のところに猪あるも気付かぬこと多し。犬は鼻を用ひ、極めて簡単に發見し、吠えて怒らせ、小なれば咬みてとる。
 上手く一致せば矢を用ひても、犬に任せても、棒切、ワナなどで樂々と捕ることが出來る。人は智あり。ワナ(例へば特に鉄)を用ゆるにしても、高価な毛皮を有し、容易に人の手に入らぬものに対しては、努めて体臭や金属臭、手の臭を殘さぬようにし、餌も色々工夫して去らせぬようにする。そして、人は動物の習性を利用して、自ら出來る彼らの道を考える。(ハシリとも言う)猟師は家にいて、あの山は何処から追へば何処へ獲物が來るのかを知ってゐる。そして待ち伏せしたりする。
 犬も雨や天候の都合、日時の関係、混合臭のあるときなど迷ふこともあり得る。人の智も完全とは云へない。右の資料を参考としてゐるのだから、まんまと失敗するあり。鉄砲と云ふ強力な武器が出で、犬の力を頼み、己の智を働かせ、脅威を動物に与へる。これで狩りの方法はぐんぐん進み、雷管を使用する銃、ブローニング二連銃、訓練された犬で猪や鹿、猿、山兎など大分狩り尽くされる運命が近くなった。
 いかに名犬と云へど大きな動物は人の力、つまり矢やワナか銃によらねば如何ともしがたい。銃には轟音と云ふ欠点があるが、有力な武器なり。20貫近くの猪の膽(イ)・肉など2万円も(今時)上ぐる場合あり。熊など推して知るべし。膽(イ)は猿、狸すべて珍重さるるなり。
 ワナにも色々あり。ハト、ツグミなどの小鳥を捕らへる方法にクグツがある。南部(ミナベ)ではコプチという。木の弾力を利用して枝の6、7寸のものを以て、両端に紐を通じ、押さへ木として地上にある木をくぐらせ、弾力木(ハチャギ)に取り付け、少し引き上げて、チリコと云ふ第三の糸(弾力木=ハネギとも云ふ)をハネギに取り付け、引き上げし押さへ木に取り付け、チリコにて止め、鳥の中に入らんとすれば、直ちに落ちて首を絞めるものなり。今も在りと云へ、ツグミ、ハトその他の小鳥も少なき為、盛んならず。
 時に、生きたまま捕らへることもあり。ハトはなかなか難し。様式を変へてやや大がかり、大人のする方法にてハネワラ(ハネワナか)と云ふものもありたり。これは主として動物の肢を括り、吊り上ぐるなり。ロシアの昔、之の大がかりなるものあり。係蹄、つまりワナは我の幼時には、ウサギ、ヤマドリの如きを捕りたり。その頃も少々ありしも、鹿、猪を捕る大がかりのワナは、今なお十津川奥地には行はれありと云ふ。
 トリモチは、我の幼時より今もなお、小鳥(メジロ、その他)を捕らふるに用ゆ。常緑樹のモチノ木から荒皮をとり田につけ、腐らせ、水洗ひして温湯に入れ、練りて作る。一種のゴム質なり。而してこの木は岩石の陰や谷間に多し。やさしき方法なり。
 なお、テン、イタチ、狸の如き高価なる動物をとるには、ビシャギ(方言)と云ふものあり。1メートル以下の長さ、幅少しく小なる頑丈の作りなしたる板の先端に合金その他の重力を担ずるものを取り付け、両側に石か何か地物を置きて、その板を中に挟み、地を平らにして片端の支へ針金に板の長さ相応のやや太き木をとりて、之に押し込み、板をやうやく動物の通れる位にはね上げ、板の後端の部にある間隙を通じ餌物と連絡し、ハネ木の後端に紐を付け、いわゆるチリコ通しで餌に通じる。もし、これを喰へば忽ち圧殺さるるなり。然し、之も動物の減少とともに少なくなった。
 「ハサミ」は前にはトラバサミと云った。之は、多分外來のものと思ふ。(動物が)踏んで挟むのと、餌を喰ひて首その他を挟むものあり。後者は主として日本にて作られしものなるべし。よくかかるが比較的技術を要し、これのみで狩する人は、甲種の免状を得なければ公然とできなかった。
 毛皮を目的に動物をとるに塩剥、燐、硫黄、鶏冠石、茶碗(ガラス)などの細粉を混合して乾燥させ、イカなどの皮に包み、餌の中に入れて目的の山に置く。之を咬めば爆發し、動物は死するなり。之は我が少年のはじめにありしも、今はほとんどなし。多分(猟師自身が)自分の危険を憂へたであろうし、人のみか犬にも被害出づればなり。
 毛皮を得るため狸、狐(狐は父の時代には相當いたしなり。本家の高く積み上げし芋苗床にも知る。師走には上の野でコンコン鳴いたと云ふ。そして鶏や芋なども荒らせしなるべし。然るに今は一つとして見たる話なし。我もたった一度竹筒にて捕りしと云ふを見しのみ。之は毒殺らし。)テンの如き(テンは極めてとりにくし)を捕るに硝酸ストリキニーネを使ったものであるが、狸には相當効ありしも、動物の減少とともに今はほとんど行はれないと思ふ。
 我の20歳頃迄はあったこと間違ひはないけれど、最も危険(人、犬にも)なるは箱鉄砲(方言なり)と云ふ据銃のことなり。主として猪を狙ひ、その通る道を物色し弾丸が丁度急所に當たる如く銃を傍らに隠して装填し、通り道には紐などを撚りカズラなどで延長し、もし動物が之に触るれば暴發的に弾丸出で、之をうち殺すなり。成否半々位なり。
 然し、この危険性は實に皮肉にも人間側の被害も大きく現れてくると云ふことだ。終戦直後は諸所で惨害を聞いたものである。法では厳禁さるれども奈如せん。之を何箇所も仕掛けられては、うっかり山も歩けない。我知りたる被害のみにても死亡した人、不具になりたる人、□□を拾い不具は免れたるも、足を、太腿を射ち抜かれしもの十指以上なり。少なくなりたるも、まだあるやも計られず。篠尾(ササビ)の人など自分の仕掛けたものにかかりて死亡せし例あり。之には普通の銃にても可なるも昔の雷管銃の如きものを改造又は新造して2尺余りの筒と管と通じる穴のみありて、その中に過大の火藥・弾丸を入れたり。(筒裂けてもよしの考へ)然るに最近の状を見るに、一つには動物の減少もあるが、とりわけ法も世相も陰謀危険なものを忌むようになり、犬による英国型の正攻法が徐々にとられるようになり、大した動きもなく淘汰されて來たようである。トリモチや子供のワナ位(道でない限り)は、これからも続くであらう。
注- ・篠尾(ササビ)は、和歌山県東牟婁郡敷屋村の奥にあり。

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