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瀞の美しさ、今は昔に比してものの数でもない。動物のみならず、一種の川藻も失はれてしまって(モーター船の多來のため)、ただ形式的に、又不調和な景色を見るのみなるも、我の中学1年時代はまだ太古と云へる、その名殘を遺してゐた。そして瀞はモーター船の來る頃は逆光線となり、一番景色は悪い。尤もよいのは、朝、霧のある早朝である。そして、その霧の晴れる時は全く美しい繪の如き恍惚に浸れる。如何なる清楚な南画も及ばない。
中学の1年時代(田辺中)のこと、山元春挙と云ふ画伯が此地瀞亭に泊まり、早朝和舟にて寫生に下瀞へ漕いで行った。余も乗ってゐた。丁度、滑り岩の下手にかかったとき、一匹の猿公断崖よりゆるゆると下りて來、河水の端に至り、しきりに水を呑んでゐる。
春挙氏は、丁度手にせる柿を1ケ投げ与へしに、その猿うまく手に受け、見返りて崖を上がり山へ隠れてしまった。画伯は、「うまく受け取った、受け取った。かわいい奴」と、上機嫌にて笑ったのを覚えてゐる。
こんな時代も我一生の内にはあった。今はこんなことは絶対になく、群れも上方へ上方へ去ってしまひ、仙境と説明するプロペラ船ガールの声よりは遠い夢となってしまった。
緋鯉など大きなもの(ウグイも)が、青い水中を金鱗溌溂したものだが、捕へられてしまひ、いよいよ見られなくなった。 |
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