十津川探検 ~瀞洞夜話~
伊勢乞食
   入学前頃は、よく伊勢乞食と云ふもの來たり。その他の乞食に至りては、戦前までかなり來たものなり。行者風、坊主風など訪れては信者方にて寝るものあり。例へば中井。然し、戦ひ始まると共に漸次影を絶ちたり。之は同地方に貧困者多かりしか。美田豊富の、見た目の裏には、この類多し。例へば尾呂志の如し。中には罪を犯して來るもの、例へば向井山にて我が家の畑作りせし石田善右エ門の如し。山刈に來てありしに本來の百姓仕事に精出すに至れり。
 但し、この人は農事によく勵み、□も出生地柄前途を考へ、十数年して帰へれり。當地における最良疏菜の元阻とも云ふべく、春菊、ほうれん草、人工蕗、白菜各種など、我々に珍しき品作り、量もほどほどにして与へくれたり。みかん、ネーブル類も、その當時は驚くべき成育ぶりなりき。
 特に彼は松茸採りの名人にて、他の人の如くただ山に入るをせず、松山を窺ひ提灯をつけ、暗い内に瀞の山へ行く。まだまだ眞っ暗なり。然るに灌木の間、樹の間、下の柴より手探りにて見事なるを抽出したり。決して土地を荒らさず、菌糸を保存するが、小なるは採らず、熟して採る故(即ち抜く)人にも採取地を知られざるなり。カサの柔らかく広がらず、茎の太き驚くべきもの多数とりたり。余も一度同行(帰國の前)されたり。その中に日出でてカサの色も柴と見分け難きになれば、杖にて約2尺5寸の矩型を記し、この中に茸2本あり。柴をはねず掘ることを為さずに採れと。余どうしても得ざりき。彼の老人は忽ちとり出す。今は山の道徳もすっかり堕落し、山刈鎌、鍬などにて掘り返しするなれば、小指の先の程にても奪ひ、山は恰も畑の如くなり、菌糸も消え、甚だしく減産し、質も不良となれり。

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