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余の10歳代、よくデコまわしと云ふ半乞食同然たる者よく來れり。但し、縁起を担ぐ漁場にはまだある筈、景気のよい唄で(正しく唄とは云へないかも知れぬ)漁師を喜ばし、魚を貰ひ受くるなり。特に終戦直後の食糧飢饉の節はうまくやったらしい。
そのブラブラ頭も顔もいい加減、棒に通した怪しげな衣、1尺位なるを門前に持ち來たり、ニコニコ顔で正規か香かエビスを踊らかし、何がしかの銭を受けて地元を去っていく。
馬鹿のように、「熱海の海岸散歩する………」など出まかせの唄らしく痴愚を装ひ(或いはさうなるか)、人の世を渡り行く。
「西宮のエビス三郎左エ門殿は仁なる人には福を与へて、ヒックリ、マックリお祝申せば、エビス様出て來た、タイを釣って引っ込んだ」など。
往年、竹之内の正光老、「若し年寄りし暁は、この仕事こそやってみたい」と常々言ってゐたのを余は覚えてゐる。□□葛川第一の財を有する老人の言にして如何にもものたらず、積極的意図にかけてゐるとしか思へない。余裕のあるものこそ世のために尽くしてほしい。勿論、人は尊放するし、人間は1人のみにては絶対に生きられず、財産またしかり。独善は乞食の道と通ずる。 |
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注- |
・竹之内-東藤二郎家の屋号 |
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・正光-東藤二郎氏の息子 |
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