十津川探検 ~瀞洞夜話~
狼の糞を拾ひし(?)話
   余、田辺中学一年生の頃、その頃、道悪き中辺路を苦心して自転車携へ帰宅せしことあり。近露の里を眼下に見下す十丈峠を疾走中、ふと異様なものを發見せり。動物の糞にあれど、よく見れば移しき毛混じりあり。豪毛あり、軟毛あり。考へし末、紙に包みて帰り來たり。田辺の博物学者南方先生に送り、意見を伺ふに、確か狼の糞ならんとのことなりき。
注- 南方-南方熊楠のこと。上記の糞について、瀞八郎が田辺中1年の時に南方宅に送ったものか、後のことであるのかは、今のところ不明である。現在刊行されている南方熊楠の日記は、大正2年(1914)までで、中森瀞八郎が田辺中学1年生の頃は、多分大正7、8年頃と思われる。なお、南方熊楠は、明治41年(1908)11月初めに中辺路~川湯~請川~小川口~玉置口~田戸~玉置川~玉置山~切畑のコースで十津川村を訪れており、多くの収穫を得たようである。南方の來村はこれ以後にもあったかどうかは、日記の刊行を待たねばならない。

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