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今は癈れたるも葛川辺り(當地にては最も早く開けたりと思ふ。役小角と葛婆の語ありせばなり。)では、婚礼の夜、若い衆たちは、ヨイコノその他のめでたい唄を高誦しながら婿の家に(庭のあたり)集まる。父兄は代表して家にゐる。釣瓶さし、酒の容器にめでたき歌を記し、竹竿の端につけて座敷の中へさし出だす。主人はこれを見て、釣瓶に酒を入れてやり、鮓など出して若者に与ふ。若者連は好むところにて、これを喰ひ大騒ぎするなり。又、上葛川辺りは、このほか空の酒樽をさも重たげに梯子を横たへなどし、めでたい歌を唄ひて、徐々にその家の座敷に入り、床の間に据ゑて祝儀を申せしなり。主人挨拶、酒肴を与へれば帰り行くなり。
双方の親達(結婚に)不服の場合、心中するものもあり。式を抜きて二人だけ契りを結ぶものあり。親の心掛け変はりて家に引き取る場合あり。又は家を出でゆくこともある。所謂野合にして妊娠しあること少しとせず。
正式の場合は橋渡しとて某が大体双方の親子娘を得心せしめ、自ら媒酌人たる場合あり。また、媒酌人は別に選ぶ事もある。
この時に(式の前)角樽(ツノタル)と称する漆塗りの樽に酒を入れ、嫁の方へ媒酌人が行き納めて來る。これにて婚約極まる。破談あまりなし。
嫁を連れに行く式の日は、双方ご馳走し、朝までも賑はふ事あり。嫁方へ行くのは媒酌人夫婦(揃いの夫婦)、婿、これに濃い親戚を連れて行く事あり。挨拶を述べ、盛装の嫁出で來たり、家内にて三三九度の盃をなして宴に移る。折りを見て媒酌人は嫁を連れて婿の家に帰る。嫁方からも兄弟姉妹その他從ひて來る。
上座に花嫁、花婿及び媒酌人、從ひ來れる嫁方。次に婿方の人々、祝儀言上の村人集ひ來る。嫁方の挨拶ありて三三九度の盃終わり、集ひし人々全部に流れ渉る。而して夜更けるまで放歌乱舞する。この場合、嫁の方も婿の方も親は直接関与せず、ただ酒肴や礼物などに當たる。引出物と称し、双方より新たなご馳走を各人に配布する。
3日目になると径3、4寸の餅を搗き、眞ん中には紅にて丸く恰も日の丸の如きを作り、新夫婦揃って親戚や近所を廻り、挨拶して餅を配るなり。俗に三日帰りと云ふ。
三重県五郷村方面は今は滅びしも、その行列の途中、村人金品をねだりしと云ふ。菅家、家の娘嫁にゆく際、亡父が宰領たり、金銭をとられしよし。少なしとて後追ひかけ、又とられしと云ふ。 |
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注- |
葛川の結婚式の慣習は村内のかなり広い範囲で行われていたようである。大字谷瀬の慣習が文書として残されている。 |
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