十津川探検 ~瀞洞夜話~
下北山村池の峯池と三度平助のこと
   下北山村字池の峯の池は、まことに神秘的に見え、昔より恐れられたり。余の幼時などはこの神秘消えず、なかなかのことなりき。山高きところ、周廻一里半に及ぶ。深きこと底の知れざる山巓の池、付近は杉の大木亭々として天空を磨く。大きなる鯉など盛んに池畔を遊泳す。これを獲れば神罰たちどころに至ると云ふ口碑ある故なり。
 但し、乞食はこの限りに非ずと云ふ。
 晝なお暗き眞っ青の水の面、雨降ると雖も水増さず。降らざると云ふも増すことあり。
 日露戦争の頃、池の中央に長さ一間余りの緋鯉浮きたりとて、人々大騒ぎせり。氣のききたる者、杉の梢に登り、双眼鏡にて見るに、緋鯉のみ縦列に集まりありたりと云ふ。池中に(つまり眞ん中に)木の葉一枚も浮かべず。触るる者なきため、朽ち果てて落ち込みたる樹片に苔の生え、草の生じたるもの、不思議ともアチコチ遊動するを見る。水面より見るに古來よりの巨木倒れ、池に横たはるを見る。
 同村池原部落は、その下にあり。また、道路通ず。他の三方は広き台地をなすも、池原に対する部分は極めて狭く数間なり。
 昔(大阪陣の頃)、三度平助と云ふ者あり。彼、この池を掘り抜きて水を落とし、池原村に損害を与へんとせり。鍬もて掘りにかかりしに眠くなり、そのまま熟睡せり。ふと氣付き見るに、鍬の柄古びてクサビラ生じゐたり。人々より聞くに三年間眠りしと云ふ。
 池畔に池の峯神社あり。宮司も寂しく、務むる人少なし。拝殿のあたりを窺ふに、昔、所謂調伏の丑の刻参りをせしか、釘の跡点々として多く見る。平助氣付きたるに白髪生じ、3年の夢□□□□□□の体にて醒めしは神罰によるなりと云ふ。
 この池の傍らを屍体通過の節は、大雷雨ありと云ひしを覚ゆ。
(昭31、6、12)
〔注〕  三度平助は二人の兄弟にして、この辺の豪族なり。兄を三蔵、弟を平助と言う。姓は平谷と云ふ。大阪陣の時、大野心を起こせる智力非凡の津久に加担し、後この役後帰國せる新宮浅野右近太夫に討伐せられたり。所謂北山一揆、津久一揆これなり。
 或る日のこと、兄弟この池の畔にて密談する内、黄昏となる。帰らんとするに怪しげなる白衣の老人現はれ出でて、歌ひて曰く、「三蔵、乎助さしたる刀、コヂリ三寸切りゃよかろ。」と云ひて去る。兄弟、「なるほど」と思ひ、刀長を縮めしに、豈計らん、却って新宮攻めも失敗、こと志とたがひ、遂に哀れな最後をとげしと云ふ。
 その内、この兄弟は魔所荒らしとて、新宮辺りまで出没し、巧みな健脚にもの云はせ、前の速玉神社の宝物など略奪せりと云ふ。これは、大阪夏の陣の頃なり。
 これよりも前にも魔所荒らしをやりし由。されど新宮丹鶴城の城主に捕らへられたり。□て死刑にせんとせしも當時にては大阪方の庇ふあり。涙をのんで右近太夫も放免せりと云ふ。何れは箸にも棒にもかからぬ荒らくれ男なりしならんと思ふ。
注- ・クサビラ-食用にならぬ雑茸の総称

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