十津川探検 ~瀞洞夜話~
木地屋の事②
   あんな険岨な、今も行く人稀なる立合川の奥の奥に、土地は案外良きところなるあたり(この地、奥に至れば侵蝕谷の関係上、土地に平なること多し)、元禄15年と年号付したる石碑いくつか、それを(年を)前後に在りしと云ふ。危ないので、余は行けなく、調査出來ないのが残念であった。確か木地屋は、一つ時代、相當永くこの文化の遠い、人も近づけないところで、特殊な生活と存在を続けて來たものらしい。徐々に山のある全国に拡がり、時勢の移り変はりは流石の根強かりし彼らの生活も変改を余儀なくされ、一般の人の中に溶け入りて霧消せしものと思ふ。木地屋と云ふも、所により器地屋などいろいろ書かれしものと云ふ。ここで考ふ。人の生き方を見ると、盛んな昔時、窮境の時、いよいよにして解き放され、文明の煩雑な人々の仲間入りして消えてしまふ。有為転変の充分入らざる明治初年頃は、まだまだ貴く、漸次20年代よりなくなりしなるべし。

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