十津川探検 ~瀞洞夜話~
むささびの事
   昭和5年頃、ビルマにて死せる弟瀞六、瀞切目屋山にて木を倒せしに、バンドリの巣あり。親は逃げ去りしに、たった一尾の仔は動く能はず。彼、手袋に入れて持ちて帰る。まだ眼も充分見えぬらしい。
 巣を作ってやり、お粥、煎餅、樫の葉その他、餌に非常に苦心して、やっと育てたり。バンドリに貮種ありと云ふ。頬のあたり八字型に白毛あるものと、然らざるものとあり。余の飼育したるはこの白線ある小柄なもの、又はモモンガと云はれる方である。
 2年余飼育して、その生態、習性、解剖的な面より色々と發見せり。詳細は、東京目黒白日荘の動物文学なる雑誌に子細に掲載しあるにつき、ここにはその大要を止め置く。
 この當時、否現在にても大分誤解されてゐるに違ひない。凡そ書物などに見える図は全然嘘であること。あの短冊型の翅膜では果たして飛べそうもない。空中滑走であり、身軽と云へど適應変形したる獣に違ひない。
 ああ云ふ状態ではとても滑走出來さうにない。死体を机上に置いて膜を広げて見る丈ではなかなかのことで、なかなか本性を現すものでない。高速度シネマに生きた奴を寫すか、これも一寸できぬ。バンドリ自身の意志によりて開帳せねばならぬ。結局は嘘の繪と云ふことで甘んじてゐる。
 然し真理は真理である。眞實を知らねばならぬ。絵で見ると腕関節より後肢へ膜が張ってゐるのである。
 もう少し探究せねばならぬ。苦心惨憺の末に、私はたうたう次の發見をした。
 (1)バンドリの尾をつかみ、ぶら下げる。すると、本能的に膜を広げる。短冊型でなく、ほとんど座蒲団の如し。正四角に近い開き方で實に緊張、見事に開き、形を崩さない。
 (2)尻尾はほとんど体長ほどあるが、雨の日には、これを頭上にまでかざすと云ふ。これはともかくとして余の實験では一寸洒落たことをする。つまり、お粥などで口辺を汚した場合は止まり木に静止せるのち、尾を腹部を通して取り上げ、ハンカチ代わりに口を拭く。
 (3)尚、後肢の指は5本あるも、前肢の分は4本なり。残りの1本は如何にしたるか調べて見る。膜の前肢端は腕関節にはあらで小指に相当する。稍々長く変形せる(小指以上に変形せる)ものに附着し居れり。後肢は足関節である。故に彼自身、膜を開けば(指を開けば)、各指を越えて小指が突き出し、緊張したる翅膜を張ることが出來る。飛ばない時は膜は弛み、変形せる小指は腕関節の方へ膜の部分と逆に折れ返ってしまふ。なかなか人の力で彼の心に反しては、膜は開かぬ。
 (4)絶対に間食はせないらしい。樫の葉、杉の若芽など大好物である。お粥、煎餅の如きものは食べる。若し余計な食物を与へると下痢を起こす。面白いことには、こんな時、庭に放り出して置くと必ずタンニン等を含む渋柿の葉などを喰ふ。
 (5)この類は噛み切る恐るべき歯を有する。然し家内はよく知ってゐ、絶対に噛まない。巣の中にゐると雖も他人はよく知り、変な唸り声を出す。さはるといきなり噛みつく。
 (6)名前を聞き分ける。例へば、「バンよ」と呼ぶと鼻を鳴らし、巣を出してやると私のとこへ飛んで來、懐に入ったなど大騒ぎである。
 (7)布団の中に入れ、その上より押さへる。なかなか押さへることが出來ない。
 (8)困ったことは、高いところに登りたがる癖あり。色々なものを落とす。次に爪が猫の如く隠れないこと。
 (9)手に掴み、中天高く放り上げる。忽ち安定して降りて來る。そして暗い所を目掛けて走り込む。
 (10)険阻な地の大抵は生木の木洞に杉の柔らかい皮を入れて巣を作っている。
 (11)夜、ライト(その前まずコツンと木を叩く。何べんもやればよろしからず)を照らせば、穴から顔を出してじっと見てゐるらしい故、捕られ易いのである。
 (12)小便はかなり出す。大便は山羊糞の如く、丸薬の如し。(1)(2)(3)は、絶対に余の發見せるものなり。これを紙上に発表後、まず文部省の画家はじめ、見知らぬ人々より文通あり。大いに開明を謝し、動物の見方も今後は是非貴下の如く致したい、又その他色々質問あり。喜んで戴いたのである。
 (13)小学校四年生と云ふ雑誌にもバンドリの繪があるが、これも嘘である。
注- 切目屋山 田戸の対岸、山彦橋にさしかかる坂の上

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