十津川探検 ~瀞洞夜話~
父が若き頃、猟を止めし原因
   亡き父も、非常とまではゆかずとも、人並みに狩猟が好きであった。余、5、6歳の頃、連れて行ってもらった事も覚えてゐる。その時、余に弓矢を作ってくれしをも記憶にある。
 ある時、瀞山中にて一匹の猿、樹上にあるを發見し、下より狙撃せるに命中せりと思ふに落ちない。(これは、猿の性として、生命あれば落ちず、然らざればヂットして木に縋りついてゐる。)再び發射すると、どんな具合か落ちて來た。その猿は瀕死ながら、突然、手で顔を被い悲しげに泣く。流石の父も哀れを覚え、早速、引導を渡した。生あるものの悲しみ、人と何の区別があらう。心地悪くする中に、他の村人やはり一匹の猿を無疵同様で捕らへ、網にて括り、もと菅家の前に曝したり。たまたま船夫等來たりて威嚇、殺す眞似をせしに、その猿、手を合わせ、泣き声悲し。之を見て以來、ふっつり狩りを止めてしまった。恐らく2、3年続けたのみならん。
注- 菅家-松平の素封家で、今の西旅館の所に移住して來て新築し、荷物問屋を始めた。瀞八郎氏の父忠吉氏は、丁稚に入って仕事を憶えた。即ち、忠吉氏の主人筋に当たる。菅家が事業に失敗して退轉した後、忠吉氏が、その向かいで独立して店を開いた。

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