十津川探検 ~瀞洞夜話~
瀞の鯉とウグイの今昔
   余が12歳頃、(鯉を)叔父(邦吉、杢平老)がよく獲って來たが、その大きさは今のとは全然違ふ。3尺に近いものもあり、担いで帰ったものだ。それに沢山ゐたらしい。料理をする時、尾鰭を壁に貼る風習あり。思ひ出しても今の鯉の倍もありしならんと思ふ。
 これのみでなくウグイは、ウグイ花咲く頃、川底の瀬あたりへ産卵に群れ集まる。これを大きな鉛のついた鈎で引っ掛け、最後には網を打つなどして獲ったもの。(大小を)きちんと分けて帰り、高菜と一緒に炊いたり、又焙って(神棚に)供へたりしたものである。ところが、この魚にも大変化起こり、以前のような鯉の如き腹の赤き大きなものほとんどなく、僅かな小型白色小集団となってしまった。両者、(文明開化)により、いろいろな面より退歩していくのであらう。その上、ダイナマイトや鉱毒関係もあり、獲り方激しく、なかには無益の殺生のため、段々影が薄くなってゆく。寂しい事である。
注- ・魚の減った事については、後出参照のこと。
・邦吉-姓は音無、瀞八郎氏の母方の叔父。
・杢平老-田戸の人、東杢平氏、魚釣りの名人。
・ウグイ花-ウグイの産卵頃に咲くツツジのようなピンクの花。産卵期のウグイをツキウグイという。ウグイは一旦素焼きにして、高莱の葉で包んで、ワリナか藁で括って、辛目に煮るとおいしい。
・鉱毒-紀州鉱山の鉱毒が板屋川を通じて、北山川に入って來る。

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