今は零落、居を異にするも、昔、神下にては長者なり。或る祖の者、立合川山小屋より帰るさ、下肥(屎尿)を担いで來る。日暮れ、誤って顛倒せり。桶の内容放出す。手にて探り、桶に入れて持ち帰りしと云ふ。同家が大となりしは、不便なる交通のため、杉檜のみに頼るを得ざりし如く、輕くて高価なる椎茸を産集して、人肩にてはるばる堺、大阪、奈良あたりまで販賣に歩きしと云ふ。現在も推茸を捨て得ざるもここにあり。然し、山又山を越え、よくも行きたりしものなり。