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維新前後、エエジャナイカ踊り全近畿その他に広まり、毎日百姓町人、「オコッテモ、エエジャナイカ、ワロウテモ、エエジャナイカ」とヤケ氣味(と云ふ内行政の乱れに対する反動?)で踊り抜いたと云ふ。そして、天空より伊勢神宮の神札がヒラヒラ降って來たと云ふ(横井小楠の行為とも云ふ)。神鏡が三里村音無家(一本松)の庭へ降ったとも云はれる。眞か偽か、おかしい事だ。
幕末の頃、関東地方より伊勢神宮などヘオカゲマイリと称して、何十万の庶民が東海道を上った話がある。これも政治と関係があると思ふ。 |
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注- |
・音無家 瀞八郎氏の母方の里。なお、この文章の末尾に別のインクで「民はかくなる」とある。 |
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