北山村大沼へ去るにのぞみ、千両箱参ケを持ちて移りたる由に傅ふ。その頃、少なくも二百数十年前であらうが、よくもあんな辺境で、この大を成したものである。現在、南牟婁郡で5指に入る山本家へ金拾両、當地浦地へ千両持って分家したと云ふ。
注-
・重複記事である。
・浦地は田戸の東直晴家の屋号。もと下瀧屋と称した。下滝の長者は西山の山本家と田戸浦地家の他に大沼へも分かれたとも伝える。