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田戸部落背後の山を王守山又は王森山と云ふ。大塔の宮が落ち給ひし時、しばしここにて御暮らしなされし所と云ふ。
王杉(玉だすき)、神山(神鏡)、王渡及び王休場から玉置山、又、北山川の大沼村の祭神、花知の祭神、館跡、竹原の古跡などを考へる、或いは何か関係あるかも知れぬ。
佐五郎右衛門と云ふ者ありて山芋を奉りしに、宮は、「これは何か」と問はれられしに、「トキヨ(時世)」なりと答へたりと古老に承っている。王守山では今でも茶碗の割れなど現れ、石で築いた風除も見出される。ただ水に不便なので汲む者は大分因った事であらう。 |
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注- |
・王森山は大森山、王杉は大杉、王渡は大渡である。 |
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・花知はハナジと読む。・花知はハナジと読む。 |
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