|
|
|
|
|
(1) |
我等10歳位、明治45年頃迄は、夏が來ると或る人々(全部ではない)は、これに(胡瓜)川太郎様何歳の男と書き、川へ流したものである。水難を除く川太郎への願である。そして胡瓜は欠く事が出來ない(つまり胡瓜は河童への供物なり)。 |
(2) |
この上流の部落であるが、今以てレプラが比較的多い。昔、何かの事情の為、村人が寺の僧を大変に虐待した事がある。すると僧は、堪へる事が出來なくなり、茄子の木を焼いて村人を、レプラになれと調伏した。その時、たった一人の善良な男があって、親切にその僧をいたはったのである。すると僧は曰く、一応祷ったにつき、お前もレプラになるに違ひないが、お前の親切に感じ、たとへレプラになっても直ちに治る藥を教へてやらうと、一つの処方を示したのである。そして、これは又お前の商賣ともなれば、この村の人でも誰でもよい、治してくれと云ふのがあれば治してやれと云ひ、立ち去ってしまった。後、果たしてこの部落は全部癩病となり現在にも及んでいる。
この藥の教へを受けた男は、後、入鹿村矢之川へ來り、幸福に世を過ごし、現在も子孫あり。藥も一説にあると云ふ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|