|
|
|
|
|
これは我が祖父中森陳平である。炭焼きばかりの中で、これは一寸異彩あり。山で働くにも、コッパタにケシズミにてローマ字を勉強してゐたと云ひ、また現在上田を調べてみても和歌や書物多く、當時としてはなかなか勉強したものである。
驚尾侍従が高野山に義挙の企てあると聞くや、馳せつけこれに加はり、天誅組にも加はった。後、十津川郷の仕事に從事、先輩と奔走し遂には上市において客死したのである。33歳。
この時、父は4歳であり、時折帰ったが、抱いてくれたのをかすかに覚えてゐるとの事であった。
この祖父は三男の父を恃み、一寸ましな奴じゃと、喜んでゐたと云ふ。流石に父は財は為さずとも(殘さずとも云った方がよい)、小学4年丈けの学歴であれ丈文章をこなし、村議30年、助役、村長などを歴任し、頑固乍ら性格を最後まで通した事は實際であり、それ以後現在まで田戸にはまだない。 |
|
|
|
|
|
注- |
・コッパタ-材木を斧(ヨキ)でへつった屑。コッパという人もある。 |
|
・上田-瀞八郎氏の本家の屋号。植田とも書く。 |
|
・父-瀞八郎氏の父忠吉氏、父福重氏の長兄は友吉氏(本家を嗣ぐ)次兄歌吉氏は新宮で分家。 |
|
|
|
|
|
|
|