十津川探検 ~瀞洞夜話~
狐憑きの事
   我等16、7歳(大正10年頃)までは、里人の間において狐憑きと称する者が何處かでちょいちょいあった。若い人も老人もであるが。
 これの人は、ろくに着物を着ようともせず、埃まみれとなり、勿論意識は不完全で精神は滅裂であり、外を歩き廻る者、喋る者、独語する者、引っ込んで逃避性の者、暴れる者、唄ふ者、変な物を喰ふ者、又は人の児を喰ひたがる者など、人事は通用せず、精神分裂症と云ふものらしいのがよくあった。
 周囲が狐狸やたたりを云ふから、時には狐の眞似やよく似た行動を為す事もある。治療法は多くは祈祷や玉置山に籠もって部屋に(稲荷社の内部)檻置されて祈祷を受け、又は銃砲刀剱で威したり或いは玉置山より御使者と称するもの-神の使者即ち玉置山の神狐を木箱に入れて、白布で背負って借りて來て祀り、我家の屋根の上に御馳走を供へる。この時、飯の如き器の一切は新しき竃や器を求めて供へる-を部屋に祭ったりしたものである。
 然しその後、段々減少して來て、現今はほとんどなくなってしまった。現今でも勿論、この種のものがでるが、甚だ少なくなり、狐憑きとは云はなくなった、とは申せないが、あの頃のように云はなくなった。そして、主として玉置山籠りが多く、他の地方、田辺方し面から來ることが多い。
 ところが、狐憑きは上の如くであるが、キツネや祟りの迷信、つまり自分の運命に関するものとする迷信は依然として絶えぬ。嘆かわしい事である。正しい希望は正しい信仰にある事は全然考へられてゐない。明治5年以來の無宗教村の様相には一抹の問題が残されてゐる。

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