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玉置神社の右側、山の尾を傳ふ道を下ると、犬吠えの檜と云ふのがある。碑が立ってゐる。元の巨大なる檜は、十数年前の暴風に倒れ、今は二代目である。その年輪の細かい事、驚くの外なし。太さは二丈を越える杉に比べて若く見ゆるも、この年輪をして云はしむれば、神代杉に勝るとも劣らぬ巨木であった。然も檜は杉に比して極めて成長の遅いものであるにおいてをや。
傳説によれば大昔の事、熊野浦に大津波が發生した。こんなのを果たして津波と云ふべきか。野越え、山越え、この大津波はこの玉置山へも及んで來た。溺死する者、波に呑まれた村落など数知れずと云ふ有様であった。漸く山へ逃げ上った土地の者共は、刻一刻増水するを見て、狂氣の如く、果ては号哭するばかりであった。
この時、何れより現はれたるか、一匹の白犬、吹き寄せるしぶきに目もくれず、颯爽として眼を怒らせつつ、この波に向かひ頻りに吠え立てた。恰も地異を呪ふが如し。声がかすれる迄、吠え立て吠え立てある程に、遂には神も感受し給ひけん。山をも呑まんとする波は不思議にもその進行を停止し、それなり徐々に後退をはじめ、遂に遠くまで元の如くに干上がってしまった。然し乍ら、その白犬はこれと共に息は絶え、空しき骸となって横たはってゐた。(一説には、かき消す如く姿は見えなくなってゐた。)人々は、感謝の涙を流して土を掘りて埋め、記念の為に一本の檜を植ゑ、厚く祀ったのであった。春風秋霜2千数百年の記念も僅かに二代となりて殘る。杖をひいて之を訪へば、大木の空しく壊れて雨露の朽つるに任せ、二代の檜も僅か直径六寸ばかり千載のかたみとなる。 |
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(28、5、30) |
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