維新當時の十津川郷士上平主税は、伊豆大島に流刑になってゐたが、(つまり横井小楠暗殺に與りたる巨魁として)後に許されて郷里に帰り、玉置神社の宮司となってゐた。我の大叔父に対し(當時玉置神社に勤務)、「横文字とか云ふもの今流行してゐるが、日本にもかつて大昔は、古代文字と云はれるものがあったが今は行はれぬ。それは、このようなものである」と伊呂波を説明して、「なかもり」を書いてくれたと云ふ。(但し、後調査によると攘夷論者の作ったものと判明した。)
注-
・大叔父-上記東藤治郎氏