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・本家-現中森孝雄家。屋号を「植田」と言い、現在の田戸で一番の旧家。瀞八郎氏の父忠吉氏は同家の三男として独立、分家した。 |
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・地上に高く築かれた小さな畑-イモジトと言う。土を盛り上げ、更に巡りに垣までした。 |
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・師走は去って一年経ったが(猪や猿や犬の日はあっても)オラへは來んの義。 |
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・東氏20歳頃に入鹿方面でハサミで狐を捕ったという話を聞いた。 その後、東氏が新築なさった昭和39年に木津呂に不意に狐が何匹も寄って來て西瓜畑を荒らしたので、村の人が一日つぶして野を狩り総出で巻き狩りして一匹を撃ち留めたが、それからまたどこかへ移動したらしく姿を消した。 |
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・東藤二郎-藤治郎が正しい。父忠吉氏の父、福重氏の弟。つまり瀞八郎氏の大叔父にあたる。下葛川へ入婿。屋号「竹之内」。「再び狸の事に就いて」では,、狐の仕業となってゐる。 |
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・向井山-向山(ムカヤマ)が正しい。歌之助の生まれた家である。同家退転の後、忠吉氏が買い取った。 |