十津川探検 ~瀞洞夜話~
田戸秋葉神社の事
   明和9年(1772)、京都において吉田神社より分祀を許されて之を祭る。昔時は吉田神道とて大いなる権威ありて、全國の総取締りであり、宗家であったと云ふ。同神社裏に至れば、今にても小祠ごとに各國の全社を祭りあるをみる。(註)祭神 訶遇突智命なり。同社は、明治年間一旦下葛川へ合祀され昭和20年頃、分散の為、神体帰座す。之より曩に各地に神社を祭ること要望されしも許さざりしかば、各地において仮祠を設け、遥拝所なるものを作る。昭和10年頃なりと思ふ。田戸も同じく荒廃せる跡を開き、一祠を設くるに付、余之源を正し京都へゆき吉田神社を取り調べ、幣帛をもちて之を納めたり。火防鎮護遠州秋葉社と同じなり。
注- ・葛川谷の各社は明治42年、下葛川の東雲神社に合祀されたが、今次戦争後再び分祀された。

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