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一昨年、26年3月頃、東中、西老人(良助)の云ふには、材木を狩川中、曲がり角の岩を材木の通る丈け切り開き通した形跡ありしと云ふ。その頃の事、林道なく、ワイヤーなく、川を利用するより致し方なかったが、よほど大きな特殊材であったらしい。
材木も、その頃よほどでなくては価値なく、角材でハツリと称する法にて作りなしたものを出したらしい。道が開け、ワイヤーが入り、所謂ヤエンと云ふものが出來、製材機の出現、力センが考案され、これが漸次發達して、今日の日和木材、東信木材(昭和25年)の如く大發達し、往復の運搬可能となり材価も非常にあがって現在の如くなったのである。勿論、永久的でなく、これはむしろ現在の道路に依らねばならぬ。編筏にはカンと云ふものの出現にてメガを切る要なく、ネジの代わりに藤カヅラ、次いでワイヤーの切片を使ふようになり、組み方にも変を來たした。カセンはヤエンとは違い、動力つまり發動機を使用する点が進歩的である。 |
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注- |
・日和木材・東信木材-田辺の人がやっていた木材会社の名称 |
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