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前記桐野利秋のもってゐたと云ふ『博物筌』の中に、「和歌のはじめ」と題し日本武尊御東征の折り、次の如く口ずさまれたのが最初だと記されてあった。即ち相模(甲斐)の或る夜にて御夕食のとき、尊が
ニヒバリ ツタバリ(ヲ) スギテ イクヨ力 ネタル(ネツル)
と云ひしところ、炊ける翁が
カカナベテ ヨニハココノヨ ヒニハトホ力ヲ |
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注- |
古事記中巻 |
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即ち其の國より越えて、甲斐に出でまして、酒折宮に坐しし時、歌ひたまひしく、
新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
とうたひたまひき。ここにその御火焼の老人、御歌に續ぎて歌ひしく、
かがなべて 夜には九夜 目には十日を
とうたひき。ここをもちてその老人を譽めて、すなわち東の國造を給ひき。 |
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