これは傳説によると大塔之宮であるけれども、その他では名高い七卿落ちの一人であり、妙國寺切腹の検死官である東久世伯である。
明治20?年、來遊した。新宮から和舟にて牽かれて來たので一日では來られない。予定より晩いので田戸の人々が舟を以て瀞の入口あたり迄迎へに行ったとの話である。松明の火が夜の岸壁と之が水に映ずるのを見て、頗る悦に入り作った一首が我が家にある。
松の火の光に見れば岩垣の
みどりも水にうつり希る可奈
かくて瀞の姿もいよいよ世々広まりゆく。