十津川探検 〜十津川人物史〜
植村 忠知
植村 忠知 明治37年(1904)12月13日、折立に生まれる。
 折立小学校を卒え、郷校文武館(現十津川高校)に入学、在学中剣道選手として活躍する。昭和10年(1935)平谷に居を移し旅館吉乃屋を創業する。
 第2次大戦後の混乱期、十津川村議会議員となり、以来20年間その職にあった。議員在職中、開発委員長2期、議長6期を務め、折りから十津川にとって大事業である、奥吉野総合開発事業・学校統合・十津川温泉開発事業を手掛け幾多の困難を排除して、優れた手腕を発揮、何れも成功に導き、村のへき地性を打破し、近代化を図ることに貢献した。中でも下湯より温泉を平谷へ導き、十津川温泉として開発したことは画期的な事業であった。平谷は昔より十津川の中でも人口の多い最も商業の発達したまちであったが、国道の開通と共に様相は一変した。いわゆる観光地として、全国に知られることになった。
 又植村は、当時の村の基幹産業であった林業の振興では、十津川村森林組合・木材協同組合の理事として力を尽くした。
 村内における彼の働きはやがて県会へ、と言う声になり昭和42年(1967)推されて奈良県会議員に出馬、見事当選を果たした。
 県会においては、建設・総務・水資源特別開発各委員長等の要職を歴任、県政進展に寄与し、その足跡には見るべきものがあった。
 県政においても、村政においても、道路整備・観光開発等植村の力量発揮に多大の期待が寄せられていた矢先の昭和47年(1972)、10月19日、卒然として逝く。政治家として益々円熟味を加え、豊富な経験による活躍が期待される68歳であった。
 資性豪放にして決断力に富み、他人の為に労をいとわず、前途に尚多くの期待を寄せられながら生涯を終えた。
 奈良県準議会葬・四村区区民葬をもっておくられた。
 昭和53年(1978)、村は植村の遺徳を偲び、その業績を後世に伝えるべく、平谷光岩寺山門前に頌徳碑を建立した。
 

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