十津川探検 〜十津川人物史〜
長尾 一夫
長尾 一夫 明治44年(1911)10月25日、父長尾喜之助・ふさの長男として西中に生まれる。
 小学校を卒え、十津川中学文武館(現十津川高校)を経て平壌医学専門学校に学び、昭和11年(1936)3月、同校卒業する。
 卒業後平谷蕨尾において長尾医院を開業するが、間もなく始まった日中戦争の為、軍医として応召、中国各地において戦傷者の治療に当たる。
 昭和20年(1945)4月、勲五等に叙せられ瑞宝章を授与される。
 8月終戦となり復員、陸軍軍医大尉であった。
 戦場から還った長尾は、日々訪れる患者に誠実に接し、診察・治療に明け暮れた。しかし繁忙の毎日を送る中にも向学心・探求心は押さえ難く学位取得を思い立ち、大阪市立医科大学において研究を重ね、遂に昭和34年(1959)7月目的を達成した。論文は「CL36によるクロール代謝」であった。この間の事情を同窓生千葉武男(歯科医)は告別式の弔辞の中で次の様に述べている。(前略)…「君は生をこの世にうけるや、人間のなしうる努力の限界を究めんとする如く、寸暇を惜しんで精励し続けました。中でも学位獲得に当たっては、主に夜間を利用して大阪市立医科大学に通い、『我が論文は原子に関係がある』と語り、あたかも、湯川原子理論に肉薄するようなすさまじい意気込みで超人的努力を続け、目的を達成されました。…」(後略)
 開業医としての一方、各学校の校医も務めた。又母校十津川高校の同窓会会長を長く務め、十津川高校の100周年に当たっては同窓会長として“文武館創立100周年記念事業委員会”の委員長を務め、募金事業・同窓会員名簿作成・十津川郷土館の建設・文武館100年史の編纂・記念行事等有意義な事業を成し遂げた。
 終戦後間もなく、かつて折立小学校時代の恩師勝山直隆校長が病の為、長い闘病生活の末現職中不帰の客となったが、師の病没を心から悼み、今更ながら健全な身体こそ最善のものと考え、校医を務める平谷小学校に「勝山賞」を贈った。平谷小学校では優勝旗を作り毎月1回小運動会を開き、健康増進・体力増強を図り長尾校医の意志に応える事とした。
 昭和56年(1981)10月14日、大阪医科大学において勤勉・誠実の生涯を閉じた。70歳であった。高野山に葬る。逝去直前10月3日、村より“功労賞”が贈られた。
 

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