十津川探検 〜十津川人物史〜
東 直晴
東 直晴 明治37年(1904)7月11日、東辰次郎の長男として名勝瀞峡の地、神下田戸に生まれる。
 家は元和歌山県北山村にあり、下滝の長者と呼ばれた旧家であった。
 葛川小学校卒業後、十津川中学文武舘(現十津川高校)に入学するが1年にして学校をやめ、約4年田戸の西久保店で丁稚をし、その後葛川で筏や山の仕事に従事する。
 また葛川3ヶ大字の全住民を対象にした、木材搬出を主とする「葛川土工森林組合」の創設に貢献し、理事等を務めその発展に尽くした。
 30歳過ぎから葛川の農業協同組合に勤め、戦時中食糧困難な時代、米の配給業務等に労苦をなめた。
 戦後、当時葛川にとって重要な事業であった架橋事業・無電灯解消の為の点灯事業にはよくその成功に向けて力を尽くした。
 このようなことから推されて村会議員となり村治にも関わり、村の為に尽くした。
 その後材木業を営むが、昭和48年(1973)健康を害し止む無く廃業し、療養に専念する。
 「瀞洞夜話」の著書中森瀞八郎とは同年輩で終生の友人であった。
 彼の発病後は「瀞洞夜話」の執筆を助け、挿絵を措くことを約束した。
 彼の描いた「風俗図絵」は「瀞洞夜話」の挿絵として描かれたものであるが、当時の人々の暮らしの様を正確に、然も、克明且つ見事に表現されている。又的確な説明文が付されていて、優れた伝承者の一面を見る思いで今更ながら驚嘆する。
 「風俗図絵」は「瀞洞夜話」と共に教育委員会発行の「林宏十津川郷民俗探訪録 民俗4」に貴重な民俗資料として収録されている。
 昭和50年(1975)11月3日、温厚にして誠実な71歳の生涯を終えた。
 奇しくも、同時期しかも国立公園天下の名勝瀞峡に共に生を受け、親友としての交わりを結び、晩年協力して貴重な民俗資料を後世に残した事に不思議な縁を感じるものである。
 

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