十津川探検 〜十津川人物史〜
西村 利男
西村 利男 明治9年(1876)1月5日、西村菊太郎の長男として山手に生まれる。
 小学校を卒え、郷学文武館(現十津川高校)を卒業後、教師の道を志し検定により小学校正教員の資格を取得する。
 教員の第一歩を郷里の平谷小学校で踏み出し、6年間教壇に立つ。
 6年の後当時名門と呼び名の高かった奈良市第一尋常小学校(現椿井小学校)へ転勤、児童の教育に情熱を注ぎ、精励恪勤[かっきん]すること15年の長期間に及んだ。
 やがて長きにわたった第一小学校より、惜しまれて転勤により再度最初の着任校平谷小学校に校長として赴任する。
 西村にとって最後の赴任校となった郷里の平谷校で、またまた前任校と同じく15年の長期間勤務することとなる。
 穏健にして職務に精励、人望厚く教育功労すこぶる多大であり、36年に及ぶ教員生活をわずか2校で終えたことは、赴任した校区の子弟父兄地域住民の大きな信頼感の現れであった。
 奈良市第一尋常小学校に在職中は、主席訓導として教育の向上充実に務めた。その功績が認められ、大正5年(1916)5月、教育功労者として、翌大正6年(1917)には、教育功績者として奈良県教育会長より表彰を受けた。
 教育界勇退後は、農業を営み、農事にいそしみながらも請われて村の学務主任を5年間務め、又十津川村議会議員を1期、又長年にわたって四村区長等を歴任し、地方自治にも貢献した。
 校長時代鼻下に髭を蓄え泰然、悠揚[ゆうよう]迫らざるものがあり、よく部下職員を指導し、学校経営の実を上げた。
 温和な性格の上言動に表裏なく地域住民とよく和し、名校長の名をなした。
 昭和17年(1942)8月15日、誠実に教育一筋に生きた66歳の生涯を、生地山手において終えた。山手に葬る。
 

十津川人物史へ 十津川巡りへ