十津川探検 〜十津川人物史〜
大畑 秋雄
大畑 秋雄 明治26年(1893)9月10日、小山手に生まれる。
 畝傍中学校(現畝傍高校)に入学するが、2年終了後大阪府立農学校畜産科に転入し、同校を卒業する。
 大正2年(1913)軍隊に入り、大正5年(1916)獣医少尉に任官する。
 除隊後4月、農業技手として十津川村役場に入り、7月奈良県衛生技手となる。
 昭和6年(1931)名誉助役、次いで村会議員、昭和15年(1940)には推されて第22代村長となる。就任時、日本は日独伊三国同盟の締結、大政翼賛会の発足等戦争への歩みを続け、ついに運命の太平洋戦争に突入するという時期であった。在任中は、長年の懸案であった文武館の県営移管を始め、困難な戦時下の地方行政に優れた手腕を発揮した。
 昭和18年(1943)村長退任後、和歌山県新宮市に移り、昭和30年(1955)市会議員に出馬、多くの市民に推され当選、以来3期連続当選を果たした。
 議員在任中、建設常任委員長・副議長等歴任、ついに議員最高の栄誉たる議長になるなど、市政の進展に尽くした。
 又十津川村や新宮市の木材関係機関の役員として業界発展に尽くした。とりわけ戦後の混乱期いち早く優れた洞察力をもって、「新宮市の発展は木材の集散地としての地域性を生かすに如かず」と「木材の町 新宮市」として市の復興を図った業績は高く評価された。
 又請われて新宮高校野球部の後援会長となり、幾度か甲子園出場を果たし“新高野球部”の名声を高らしめた。
 昭和37年(1962)全国市議会議長会から、又和歌山県知事から表彰を受けた。
 昭和42年(1967)勲五等に叙せられ瑞宝章を賜る。
 昭和62年(1987)12月30日、埼玉県川口市において高潔の生涯をとじた。
 秋雄は十津川村においては村行政の最高責任者たる村長となり、新宮市においては議員最高の議長となり、夫れ夫れの村・町にあってその進展に力を尽くした、希有な経歴をもつ政治家であった。
 94歳の長寿であり、没後、特旨をもって従六位が追陞[ついしょう]された。
 

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