十津川探検 〜十津川人物史〜
後木 實
後木 實 明治40年(1907)6月、永井上家誠馬の次男として生まれ、後に後木姓を名乗る。重里小学校(現西川第一小学校)卒業後、直ちに十津川村役場に雇いとして就職、以来役場吏員として精励恪勤、事務に精通しやがて役場の生き字引と称せられるまでに至った。家にありては寸暇を惜しんで読書にふけり蔵書は家内に満ちていたという。
 昭和15年(1940)33歳の若さでその力量をかわれ助役に就任する。
 就任間もなく、太平洋戦争勃発、情勢極めて困難なるとき、昭和21年(1946)まで村長を助けてよく時局に対処してきた。
 終戦後、戦時中の国策遂行に協力の故をもって公職追放となったが、しばらくして解除となった。
 追放解除後、戦後の教育制度の改革による教育委員会の発足に際し、教育委員となった。
 昭和28年(1953)6月、村民の期待を一身に担い村長に就任する。
 村長在任中の業績を列挙すれば大凡次のとおりである。
 ☆吉野熊野総合開発の促進・電源開発(風屋ダム、十津川第一発電所、二津野ダムの建設)
 ☆林道開発・森林開発公団による村内11路線
 ☆国道開通・国道168号線五条新宮間の開通
 ☆出版物刊行・『十津川叢書』の刊行・『十津川郷』の復刊・『千葉政清遺文集』の発刊・村報の創刊
 ☆診療所の開設・小原・上野地・重里・田戸など、2期の間に大いに治績の実を上げ、村を“陸の孤島”から脱却せしめた彼の功績は誠に大きい。
 役場を訪れる人が、「後木さんは何処の大学を出たのか」と言われる程の学識を備えており、学歴が小学校卒の身とはとても思えなかったという。役場の給仕から身を起こし、刻苦精励・勤勉力行ついに村長という頂点に起った彼こそ正に立志傳中の人と言うべきであろう。
 昭和39年(1964)7月26日、新宮市にて心筋梗塞のため倒れついに起たず。
 村政に偉大な足跡を残し、惜しまれて57歳の生涯を閉じた。
 

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