十津川探検 〜十津川人物史〜
玉置 良直
  玉置 良直 明治9年(1876)7月2日、宇智・吉野郡長玉置高良の長男として折立に生まれる。幼年の頃より頭脳明敏、意志強固であったという。
 折立小学校を卒え、早稲田専門学校に学び27歳にして、十津川村会議員、翌年吉野郡会議員並びに奈良県会議員に、明治44年(1911)、吉野郡会議長に選任される。大正元年(1912)には推されて十津川村長となり、4年間村政に携わった。大正9年(1920)衆議院議員に無投票で当選、国政に参画することとなった。良直が終生の事業として、政治生命をかけて取り組んだものは、五條と新宮間に鉄道を通す五新鉄道の敷設であった。衆議院議員当選を機に、この鉄道の国家的・地方的にみて重要路線であることを力説、地元民・近隣の町村民と共に強力に運動を展開した。
 村にあっては時の村長深瀬隆太が、五新鉄道に最も深い理解者であり、これに積極的に協力した。良直は国会議員当選の頃から、脚疾を患っていたが、この運動に奔走の為、病いよいよ重り医者から「命が大事なら1日も早く東京を去れ」と忠告される程になったが、責任感の強い良直は全く聞き入れず、悲壮な決意を胸に運動を続け、鉄道省の階段は人の肩にすがって昇降したと言われている。この様な良直の熱誠はやがて政府を動かし、五新鉄道敷設法案は国会を通過した。大正12年(1923)のことである。
追悼碑(折立)
●追悼碑(折立)
 良直は己を持すること厳、謹直にして倹素、人の短を言わず己の長を説かず高潔な人格の持ち主であった。またしばしば私財を投じて公共の為に尽くしたので、昭和5年(1930)紺綬褒章が贈られた。良直の晩年10年は宿痾の為、立つことが出来なかったが、村民からは常に敬慕され回復を待たれた。然しながら昭和9年(1934)9月21日58歳をもって堺市大浜南町にて没した。村は生前の功績に報いる為、村葬の礼をもってした。
 良直の生前、生命をかけて国会を通した五新鉄道は、半世紀の間、幾度か工事の着手を見たが、時代の変転と共に鉄道の合理化案が浮上する等、遂に完成をみることがなく、わずかに西吉野村城戸までの鉄道の路盤を残して、“幻の鉄道”と化したことは返す返すも残念なことであった。
 故人の無念さ思うも更なり。
 

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