十津川探検 〜十津川人物史〜
中川 小四郎
  中川 小四郎 明治20年(1887)5月24日、大込正修の四男として平谷に生まれる。
 平谷小学校を終え、京北中学校を経て明治38年(1905)、千葉医学専門学校に入学し、明治42年(1909)同校を卒業した。卒業後東京において私立の医院に勤務し、明治44年(1911)、東大で外科学を学んだ。
 明治45年(1912)新潟医学専門学校第2外科の助手となった。
 翌大正2年(1913)私費でドイツのミュンヘン大学に留学し、試験を受けてドクトルメジチーネの称号を得た。僅か4カ月の滞在で学位を得たその陰には理由がある。それは中川の人並み外れた勤勉振りと、語学の才能によるものである。大正5年(1916)ロンドンの研修を終えて、イギリス・フランスの病院を見学し帰国した。同年11月東北帝大の外科に入局し助手となる。大正8年(1919)講師に昇任、翌年(1920)7月、岡山医学専門学校の教授となり、翌年同校の付属病院の皮膚科・泌尿器科の医長に任命された。
中川小四郎墓(平谷中川家墓地)
●中川小四郎墓(平谷中川家墓地)
横切った流星
●横切った流星
 大正12年(1923)5月から泌尿器科学研究のため、文部省在外研究員としてヨーロッパに行き、各国で研修して大正15年(1926)1月帰国した。
 昭和5年(1930)職を辞して、大阪に中川病院を開設したが、空襲により消失した。その後大阪女子医専・大阪女子医大、関西医大の教授、関西医大付属病院香里病院長を歴任。
 昭和46年(1971)12月25日、大阪にて病没した。84歳であった。
 この中川について日本ではあまり知られていない医学上の世界的開発業績が、松本明知(弘前大学医学部教授)著「横切った流星」副題“先駆的医師達の軌跡”に紹介されている。「昭和20年(1945)に出版されたトーマス・E・キイズの“麻酔の歴史”は麻酔科学の歴史の定本とされ、各国語に翻訳され、日本語版も昭和42年(1967)出版されている。この本の中に唯1人、日本人の名前が出て来る。華岡青州に違いないと考える方が多いと思うが、答えは否である。その人の名は中川小四郎である。中川は大正10年(1921)東北帝大において、アルコールによる経静脈的点滴麻酔法(独文)を発表したが、これはアルコール麻酔による世界最初の本格的研究であった。中川の名前はこの事によって欧米にまで知れ渡った。」ということである。
 長男・次男共に医学博士、孫も又医学博士で平谷にて中川医院を開業、墓碑は福山神社下中川家墓地にある。
 
 

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